コズモポリス

Cosmopolis
金融界で成功した若き実業家がオフィス代わりに使用して引き籠もっているリムジン世界内に現れる幻惑的エピソードで綴る文芸的破滅物語。デヴィッド・クローネンバーグ2012年の警告。
コズモポリス

主人公は金融業界で成功している若い実業家です。リムジンをオフィス代わりに使用し、このリムジン内での人との対話がメインとなる映画です。対話どころか医者の診察やセックスまでほとんどの用事をリムジン内で行います。映画として見たら、リムジンの中に誰かがいて話しているだけの、一般娯楽映画の観点からすると「なにこれ」状態の非常に珍妙な文芸的な作品となっておりますね。

リムジンはほとんど主人公にとっての世界です。世界というのはインナーとアウターに分類できます。内世界と外世界ですが、このリムジンは内世界でもあり外世界でもあるという、主人公にとっての世界の全てです。映画にとってもほぼそうです。重要な意味で散髪屋とか例外があるのですが、まあ、ほとんどが内外世界の中継地にして世界の全てという、そういう場所だったりします。
ここでの対話はジム・ジャームッシュ「リミッツ・オブ・コントロール」をちょっと思い出させる芝居的シークエンスの連続でありますが「コズモポリス」のほうが若干ドラマ性が高いです。抽象的な対話の中に、徐々に主人公を取り巻く状況の変化と実情が垣間見れるようになっています。映画の後半ではリムジンから降りてストーリーが展開する構成も取っています。ですので、ある程度文芸的実験的な作風ではありますが、ちゃんと普通に楽しめる娯楽要素も外してはおらず、微妙なさじ加減の挑戦的作品と言えるかもしれません。

人との対話、ジュリエット・ビノシュとの絡み、ドキドキする展開、リムジン内の世界で起こる事柄は面白さに満ちています。「この話、この先どうするんだろう」と心配しながらも、その細部の面白さにやはり前のめりになります。後半の展開も、そこに出てくるあの人の様子も、もうとにかくすごくよろしいです。後半に関してはちょっと前に任侠ものを撮ってきたクローネンバーグの多様な力業を堪能できます。

さてリムジンと言えば同じ時期のレオス・カラックス「ホーリー・モーターズ」との類似を誰もが思うでしょう。私も思いました。
「コズモポリス」は面白い映画なのに、肝心の映画内容よりなぜ「ホーリー・モーターズ」と被っているのかに興味をそそられてしまいます。
腹黒い私は「リムジンから『リムジンをテーマにした映画を撮って』と、製作費が出てるんじゃないか」と疑いました。疑いたくもなるほど、この二作は何となく感じが似ています。リムジンが出てくることだけが共通しているのではなく、内容的な被りにも思い当たるんですよね。で、この妄想には何の根拠もありませんが、もし万が一そういうことがあったとして、監督としてクローネンバーグとレオス・カラックスを選んだあたり、選択眼にさすがと呻るしかないという…
妄想の連鎖で呻っていても仕方がないので次行きます。

「コズモポリス」はほとんどが車中での会話による物語で、リムジン内部が主人公の内宇宙と外宇宙が混濁した世界となっているという先ほどの話ですが、だからこれは内面に切り込む心理や精神の具現化という、そういう映画の仲間と言えると思います。しかしそれだけじゃありませんで、金融とかグローバルとかそういう末期的資本主義のみっともない末路を象徴的に描いた社会派作品の一面も持っています。ただの内面映画なんかじゃなく、内面のじたばたを描きつつ、狭い世界から外の広い世界の歪も表現しているんですね。これはいよいよクローネンバーグも芸術家の悲鳴をあげているのかもしれないなとちょっと思いました。

そしてそれに加えてラスト近くのスリラー展開、任侠映画で鍛えた表現力が光ります。つまり「コズモポリス」はそれほど難解奇天烈な物語というわけでもなく、深い部分と比較的単純な物語とが渾然一体となっており、多重のネタで構成された多くの見どころを持つ映画っていうのが見終えた感想でした。

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