ウェディング・ベルを鳴らせ!

Zavet
エミール・クストリッツァ2007年の「ウェディング・ベルを鳴らせ」はノリノリ音楽と田舎の景色とドタバタを堪能する騒々しい映画。騒々しさは一級品。でも油断は禁物。
ウェディング・ベルを鳴らせ!

この映画の存在を知らなかったんですが知ったので観ました。「ライフ・イズ・ミラクル」の3年後の作品です。

山間部の田舎の景色も堪能できます。「ライフ・イズ・ミラクル」で手に入れたあの村で撮影したんでしょうかどうでしょうか。いいですよね。夢の国のような村の景色です。

この田舎の村の少年が主人公です。おじいちゃんと一緒に暮らしていて、このおじいちゃんが天才おじいちゃんです。レオナルド・ダ・ヴィンチばりに何でもできます。ハイテクに長けた技術者で、からくり大仕掛けを作る土木技師で、鋳物の職人で、壁画を描くアーティストでもあります。

このおじいちゃんが孫に言います。「わしが死んだらお前はひとりぼっちだ。街へ出て嫁を見つけてこい」
少年は嫁を探しに牛を連れて街に繰り出します。

いきなり超可愛子ちゃんを見初める孫。でもこの可愛子ちゃんの母親には田舎マフィアに絡む事情があったりします。その田舎マフィアと関係ある禿頭の二人組と孫が出会って仲良くなって、それで…、というような人々を巻き込むドタバタ騒動が勃発します。

主人公少年、いいですね。「それでも生きる子供たちへ」で抜擢された少年です。
靴屋の彼らも魅力溢れています。そして田舎マフィアの悪者を演じるのは尊敬するミキ・マノイロヴィッチでありまして、まあみなさん楽しんでいます。

はっきりいってかなり荒削りなドタバタ劇です。荒削りの騒々しさはもしかしたら観る人を選ぶかも知れません。何も知らずに見たら「なんだこれは」と呆れること請け合い。でもそこがいいの!

エミール・クストリッツァの世紀の大傑作「アンダーグラウンド」や「黒猫・白猫」「ライフ・イズ・ミラクル」などに比べると、雑っぽい編集や度が過ぎた悪のりを感じますが、その分、逆に楽しさやさらに勢いや勇ましさすら感じるのです。

物語の終盤、ドタバタ騒動の極めつけのあたりで登場人物が吐くセリフに戦慄します。じつは映画の節々で、わりと戦慄する言葉が散りばめられていることに気づいているはずです。そこに凄みを感じずにおれません。
つまりそれは紛争についての強烈な言葉です。
「世界が我々を挑発している」とかです。あと「凄い音楽で攻撃してやる思い知れ」みたいなところです。ギャグとしてのセリフの中に、強烈な力を感じ取って一瞬身が凍り付きます。

もうひとつとても重要なことは、撃ち合いをやったり爆発したり暴力的なシーンを出し続けているのに、肝心なところで「でも殺すのは駄目だ」「殺してはいけない」と、登場人物の誰もが言うのです。
ここ非常に重要です。
機関銃で撃ちまくるシーンが例えあったとしても、実際には誰も殺人をしていないのです。殺人や殺し合いを徹底的に否定します。つまりこれは戦争の全否定です。

政治的テーマを極限まで切り落としてヤケクソで放った「黒猫・白猫」との類似点はあります。ヤケクソのハッピーエンドもそのひとつです。ですが「黒猫・白猫」の時に滲み出ていた攻撃性メッセージ性は「ウェディング・ベルを鳴らせ」では影を潜め、よりピュアにハッピームービーであると感じられます。ひとつの大人化とも思えますし、攻撃よりも愛に重きを置き「殺すな」を唯一のメッセージとして面白い人々を描き倒す成熟を感じ取ることもできました。

いよいよ我が国は戦前以下の狂人列島と化して、今にも戦争を始めてしまいそうな、しかもそれを国民が支持しそうな、そんな暗黒面の力に満ちています。
暗黒面に覆われた国で戦争を回避する方法はありません。為政者は反戦の言論を「愛国心がない」という半知性的な簡単な操作で封殺しますから、これに騙されないことが大事なのですが時すでにお寿司で愚衆の多くが暗黒愛国心に持っていかれています。
黙ってしまうのも荷担の一種なので時には声を出す必要があります。単純です。
「殺してはいけない」

殺してはいけないと、私も強く考えています。

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