オキュラス/怨霊鏡

OCULUS
鏡の呪いと対決する姉と弟を描いたホラー映画「オキュラス/怨霊鏡」は役者と脚本と演出と編集が極上に混ざりあった映画史上に残っていい傑作。
オキュラス/怨霊鏡

鏡ネタのホラー映画などと聞いて面白そうと思う人はあまりいないと思います。私も大した期待もせず忘年会後のデザートおやつとして見始めたんですがこれがもう大変なことで、これ傑作じゃありませんか。おやつとして最高級どころか普通の名作映画並みに歴史に残ってもいい素晴らしい出来映えにひっくり返って大騒ぎでした。

ちょっと前の2013年の映画です。日本では2015年に公開されていて目ざといホラーファンに揺るぎない高評価を得ていたようですがぼやぼやしている私のような人間は今頃知って驚愕しております。

こんな映画

あらすじはこうです。子供時代に鏡のせいで酷い目に遭った姉と弟が鏡と対決します。

ストーリー

鏡のホラーと言って思い浮かぶ「ミラーズ」みたいな話では全然なく、意外な展開を見せます。姉弟は子供の頃ひどい目に遭いましたがそれは鏡の呪いのせいであるからして、復讐を兼ねてこれを壊そうと奮闘するのが骨子ですが、では子供の頃どんなことがあったのかと、その過去のお話がもう一つのメインとなります。

脚本

ストーリーも凝ってるけど何よりいいのは脚本の細部です。会話とか、ショックシーンも含めた一つ一つの出来事、ディテールが大変良いです。

良いディテールの集合体が全体のストーリーであるわけで、細部に命を与える脚本はもちろんストーリー全体とも常に密接です。

キャラ立て

際立っていることは、登場人物が皆、素晴らしく立っているところです。この映画はホラー映画ですが、キツくて辛い家族を描いた一級品ホームドラマでもあります。それを成り立たせるためのキャラがしっかり立っているわけです。大人の姉弟、子供の姉弟、父も母もです。

ストーリーがよく出来ていても登場人物の優れた造型なしには上手い具合にいきません。緻密なキャラ設定がストーリーを紡ぐのでありまして、人物、細部、ストーリーの一体化した完成具合が映画全体の質を上げまくります。

演出と編集

さらにこれによい演出が加わりますね。過去と未来のオーバーラップや細かいショックシーンと幻覚の連続は下手すれば見ていられないアホみたいな仕上がりにもなりかねません。実に見事な演出とそれから編集のテンポですね、こういうのがあります。

役者

キャラ立てのために最重要な役者の力です。姉と弟それぞれを演じた四人のなんとぴったりフィットなこと。

中でも抜群なのがお姉ちゃんケイリーですね。カレン・ギランという女優さんが演じています。このお姉ちゃんキャラが強気の男前でとてもいいんです。

少女時代を演じたアナリース・バッソという子もキャラ設定にとても合っていて、大人時代と少女時代で実に一貫したお姉ちゃん像をつくりあげています。弟に足を乗せてふんぞり返ってるところなんかめちゃお姉ちゃんっぽくてお姉ちゃんあるあるですってよ。

解釈

映画の前半、鏡の呪いを確信して戦いを挑むハリキリ姉ちゃんに弟は鏡の呪いなんて気のせいだ子供の妄想だと反論します。面白いやりとりが続く最高のシーンのひとつでした。

この議論のシーンが実は映画全体を包んでいます。つまり「オキュラス」という映画がいったい何の映画なのかという肝心要の部分で、この序盤の議論がすべて語っているわけですね。

鏡の呪いの映画であるとも言えますし、鏡の呪いを信じ込んだ哀れな姉弟の悲劇の映画であるとも言えます。注意深くすべてのシーンがその解釈を成り立たせます。

ホラー映画ではまず怪奇現象があって、その現象をどう料理するのかという基本的な流れがあります。幽霊に持って行くのか、悪魔に持って行くのか、SFに持って行くのか、精神や心理や狂気に持って行くのか、その持って行き方が映画そのものとなりますね。もちろん複合技もあります。

「オキュラス」が傑作な理由のひとつは、この流れをすべて断ち切ることに成功したからと考えてます。

まず鏡の怖い現象が起きて「何だろう」となって、やがて「鏡の呪いだ」と判ってクライマックス、またあるいはは思春期の幻覚であった、で済ませるような話と全く違うんです。

まず姉が鏡の呪いと対決しようとして、それは何故かというと子供時代にあんな恐ろしいことがあったからだ、と子供時代を描きますが、その恐ろしい出来事と鏡の関係を始終あやふやにしたままドメスティックに家族の悲劇を描き続けるんです。

挙げ句の果てに、映画の顛末でどのようなことになるかというと、ここでは言いませんがかなりとんでもないことになりまして、その顛末を迎えて自失呆然とエンドクレジットを眺めながら、結局鏡の呪いであったのか、トラウマ姉弟の悲劇であったのか、どっちとも解釈可能な話であったと判る仕掛けです。

どっちとも解釈可能ですが、あやふやに終わらせているわけではありません。すっとぼけて解釈を客に丸投げして逃げるタイプの映画でもないんです。きっちり描ききります。鏡の呪いとしても完結しているし、精神の話としても完結しているんですよ。ここがすごいところです。

不憫と悲哀

複合的解釈を前提に、子供時代の両親を思い返すと悲哀が押し寄せます。そうですね、仮に鏡の呪いなどないとしましょう。そうすると両親に起きたことを先入観なしに理解出来ますね。

浮気の疑いから徐々に精神の均等を失う妻と、妻を病院に掛からせず部屋に閉じ込めて面倒を見るうちに正気を失っていく父親。子供たちがこの両親の元でどうなっていくのかという、ホラー映画を超越したキツいもう一つのストーリーが浮かび上がります。

そうなると弟君の可哀想感が際立ちますよ。あるいは、強気のお姉ちゃんが抱える心の闇というものにも気づいて、不憫で不憫で泣きたくなります。

細かなよいシーン

あまり書くとネタバレがひどいので大概にしておきますが、最後に凄く気に入った細部のメモなんぞでお茶を濁しましょう。

まーなんつっても爪ですね。爪の絆創膏のシーンは映画史上に輝く名シーンですよ。ただの爪の怖いシーンに留まらず、象徴的なシーンでもあります。まさにこんなの!まさにこれ!と何故か強く思いました。監督はきっと幻覚と現実のこのような交ざり方を体験したと思います。じつにリアルな幻覚噺です。リアルな幻覚ってのも変ですけど。

予告編でも流れるお姉ちゃんのある怖いシーンがあるんですが、幻覚だと気づいて弟の前で気まずく取り繕うシーンが素晴らしいんです。脚本とキャラ設定と女優さんの三位一体となった名シーンの一つ。これ以外にもお姉ちゃんの強気部分にはよいシーンがたくさんあります。

傑作と言っていいと思います

言っていいと思います。「オキュラス」面白かったー。

 

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