ヒーローショー

ヒーローショー
ヒーローショー
公開年:
2010
製作国:
監督:
主演:

井筒和幸が監督生活35周年を記念して放つ青春暴力映画。

ヒーローショー

判断が難しい映画ですね。

見てる最中、あるいは見終わって直後は衝撃で胸が悪くなる思いでした。かつてこの監督が描いてきた暴力とは大きく異なる本気の胸糞悪い暴力に打ちのめされたわけです。

この映画で描かれる暴力は「ガキ帝国」「岸和田少年愚連隊」あるいは「パッチギ」などと違って、当事者の美学が全くありません。ヤンキーや愚連隊や任侠世界の伝統的暴力には美学と思想、見極めや限度、あるいは強い結束や仲間意識というものが根底にありますから、映画で多少大袈裟に描いたりコミカルに描いたりしてもある程度は安心して見ていられるんですね。

本作にはそれがない。美学を伴った暴力はすでに「古くてダサい」ものと化しているのでしょうか。本作の中心をなす暴力はただの烏合の衆の集団暴力です。
その上、暴力行為に対する反省や報復を含めた答えというものをほとんど示さない構成でストーリーが進行し、観客の受けたショックはどこへも持って行きようのない中途半端な状態のまま放置されます。この不気味さが「ヒーローショー」の大きな特徴となっています。
この映画に登場する若者は全員思考能力のない阿呆です。その阿呆どもがきゃーきゃー言いながら躁病的に暴力を繰り広げる怖さは格別で、かなり褒めるとすれば「ファニーゲーム」に近い嘔吐感を伴う怖さです。

犯罪シーンは2006年に起きた集団リンチ殺人事件をモデルにしており、かなりの部分で忠実に再現しているそうです。
本作の犯罪シーンはその事件に触れた時と同等の恐怖を伴っており、いわば「非現実的リアリティ」による恐怖なのでしょう。ハネケ作品が頭に浮かんだのはそのためです。

見ている間中、あるいは見終わって直後は、気持ち悪さにうーうー呻りながら反芻するわけですが、もはや事件の不気味さが際だちすぎていて他のドラマ部分の印象など消し飛んでいます。「無意味なドラマシーン」とさえ思います。
我が映画部でも見終わってぐったりの部員の姿が見られました。

「えらいもん観たなあ」
「えらいもん観た。気持ち悪ぅ」
「気持ち悪いな。最悪やな」
「ハネケ意識?」
「さあ。そこまで凄いか?」
「なんせ胸がむかむかするわ。よくもまああれだけ気持ち悪いもんを作ったな」
「気合い入ってたな」

とまあそんな会話がぼそぼそと交わされて、しかし日が経つとだんだん冷静になってきて印象が変わってきます。

「せやけど、あのブルドーザーのおっさん、あんなやつおらんやろ」
「あれは嘘くさすぎて引いたな」
「怖いほうの兄ちゃん、あいつメチャ強くて腕立て100回腹筋1000回って言うてたけど、ひょろひょろやん」
「なんであんな役やらせたんやろうな。日本にはマッチョな若手俳優おらんのかな」
「おらんのかな」
「主人公の男、あれは今時の若者代表みたいな役割か」
「さあ。あの男、あれ女やな。役割的に」
「オタクとちゃうんか」
「オタクで女や。 それが今風なんやろう」
「今時の子は部屋にエロ本置く変わりにオタク用ロリコンゲームやるのが普通なんか」
「そんなわけないやろう。あれは女化したひ弱っこを表してるんとちゃうのか」
「それなら、そういう子が増えてるいうことと違うんか」
「そ、そうなんか。それやったら、それも不気味な話やな」

あとで知りましたが、主人公二人は漫才師だそうです。ガキ帝国や岸和田少年愚連隊と同じだったんですね。
それを最初に知っていたら、もしかしたら違う見方が出来たかもしれません。

「それにしても序盤はきつかったな」
「序盤は観てられんかったな。どうしようかと思った。つまらなくて」
「後半のドラマもどうやあれ、あれなんや」
「ロードムービーはええとしても、いらんドラマくっついとったな」
「そういえばいらんドラマくっついとった。石垣レストランとか」
「あれはいらんかったな。あのへんだけ昔のやつっぽいからな」
「いや、そやないで。あれはわざとやろ。田舎者には昔気質のやつがまだおるゆうことや」
「なるほど。そういえば再会シーンで成人式以来やのーって言ってたな。成人式って」
「つまりこの映画は暴力の今と昔、田舎と都会、そういうのがテーマの一つか」
「ノーカントリーにも通じるな」

あとで聞くところによりますと、監督はアメリカン・ニューシネマについて語っていたらしいです。と、いうことはメインは犯罪でも非日常や虚構そのものでもなく、事件によって持って行きようのない中途半端な終わりを迎える宙ぶらりんの若者を描いたという、つまりはいつもの青春映画の延長線上にあるということでしょうか。それならハネケなど持ち出すまでもないということになります。
ただし、監督が「今の若者」を何とか捉えようとしたことは間違いないと思われます。以前の作品では若者と監督は等しい存在でありましたが、本作では監督と登場人物が乖離しています。「ノーカントリー」で言えば、現代の不気味な犯罪について行けないと気づく保安官が、「ヒーローショー」を作った監督自身と被って見えます。ご本人にそのつもりがあろうがなかろうが、そう見えるのだから仕方ありません。

最近のエントリー、少年犯罪シリーズみたいになってます

と思ったらこの映画の少年は二十歳過ぎてました。少年も含まれるのでまあいいか。

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