選挙2

選挙2
「選挙」で自民党から出馬しどぶ板選挙に駆けずり回った山内和彦氏が、原発事故直後の川崎で再出馬、選挙運動を行わない選挙を戦います。
選挙2

観察映画の技法を引っさげて優れたドキュメンタリー映画を撮る想田和弘監督の最新作は2011年4月の川崎市市議会選挙を追った「選挙2」です。2007年の「選挙」の続編とでもいいましょうか、山さんこと山内和彦氏の再出馬を受けてカメラを構えます。

前作「選挙」と大きく異なっています。まず状況が違います。

原発事故直後です。2011年の4月です。ほんとに直後ですね。このころ、山さんのTwitterで私も出馬を知りました。
日本の有史以来の大転換が起きた頃です。後に振り返っても、滅びの決定打が発現した地獄の一丁目ですが、なんと事故直後の川崎の選挙結果は驚くべきことに原発を止めようとした山内氏は落選します。それどころか、選挙の争点にすらならず、山内氏以外に誰ひとり原発を話題にする候補がいないという異常事態でした。

このころ重大な意味を持つ選挙が二つありました。ひとつはこの川崎の選挙で、もう一つは東京の知事選です。
この二つの選挙の結果を見て、もう日本が二度と自力再建することはないと確信できたものです。

原発事故が起きて直後にもかかわらず、すでに日本人の多くが頭を砂漠の砂に埋めて「聞こえない聞こえない、見えない見えない」と自滅の道へ向かっていました。
「選挙2」を見るとその頃のことをまざまざと思い出します。

計ってか計らずか、前作の「選挙」も不可逆的自滅の決定打の直後、今回の「選挙2」も決定打の直後という、想田監督が観察した日本の歴史的転換点が映画作品として残ることになりました。いや「計らず」なわけがありませんね。十分に計っておられましょう。

前作「選挙」との違いです。山さんが変わりました。

「選挙」で自民党から出馬した山さん、今回は完全無所属です。自民党政策から決別し、自身の主張に基づいて立候補します。
そして選挙運動をしません。ポスターを貼り、はがきを出すだけです。
観察映画として山さんを観察するとき、何もしないこの立候補者をどうしましょう。どうもこうもしません。観察映画にはシナリオがありませんから、何もしないなら何もしない山さんを撮り、何かしている別の候補者を撮ります。

さてじつは山さんが前回選挙から変わったと言うとき、自民党落下傘どぶ板候補からの転身と言ってるわけではありません。山内氏はもともと、前回の選挙のときからかなり醒めていて、本来飄々とした人であるのに体育会系どぶ板候補をわざと演じていた節があります。その醒めた彼がここ数年主夫と子育てをしていく中、自身の主張をむき出しにするようになってしまったという変わり身です。
それほど震災と原発事故およびそれらを無視しようとする流れが耐えがたかったのでしょう。

前作どころかこれまでの「観察映画」と大きく違う点があります。

想田監督がずんずん前に出ているところです。
もはや普通の観察ではありません。作品に関与しています。
「参与観察」というらしいですね。

でもほんというと、これまでの観察映画もやっぱり参与観察だと思って観てきました。
完全な第三者として、黒子のような影の存在として淡々と出来事や人を観察するような、そんな観察映画ではありませんでした。前に監督の別の映画の感想で「野鳥を観察するような観察映画ではない」と書いた覚えもあります。
撮影者が被写体に影響を与えて言葉を引き出したりする様は「ゆきゆきて神軍」に通じるものすらあると思っていました。
精神」で患者が自分のことを語り出す時、「Peace」で橋本さんがネクタイをする時、撮影者が常に被写体に影響を与えてきましたし、だからこそ力のこもったドキュメンタリーが作れたのですね。

何を観察したのか

でもそれにしても今回の参与は目立ちます。
「これ観察映画?」と思うほど想田監督前面に出てます。もう出ずにはおれないのでしょうか。これはどういう意味でしょうか。もちろんもう判っています。
「観察」の対象がとても広がっていてやばいのです。「選挙2」で観察されているのは山さんだけではありません。山さんと他の候補者というだけでもありません。選挙や選挙運動だけを観察しているのでもありません。観察されているのは日本そのものです。そんでもって、想田監督は自分自身も観察しているんですよ。そもそも「選挙」という川崎市に大きな影響を及ぼした作品を作った本人がふたたび当地で撮影するわけです。前提として自身の作品の影響下にある人々を撮影する時、監督本人を蚊帳の外に置くことなど出来るわけがありません。最初から本人が深く関わっており、自分自身を観察することは必須なわけです。だから監督がこの映画にたくさん出てくるんです。

上映時期が特別です。

先の衆議院選挙の変態的結果を受けてやにわに編集作業を開始した想田監督です。
「選挙2」は2013年夏の参議院選挙の前にどうしても公開せねばなりません。多くの人に観てもらわないといけません。

6月にお披露目され7月6日から公開の「選挙2」を参議院選挙前に上映するのは最早劇場の義務です。さいしょは夏に予定していたくせにこそこそと引っ込め上映時期未定の奥底へ追いやるような情けなく恥ずかしい真似をしてはいけません。

きっちり参議院選の前に上映を果たす立派な都道府県は東京大阪以外では大分、石川、沖縄、次いで福岡、広島、愛媛です。

【ここで追記 2013.7.13】

ここでも別枠日誌でも、如何に参院選前に上映することが大事か書いて、きちんと上映する都道府県を敬意を持って紹介しましたが、今日になって新たに上映館があることを知りましたので追記で紹介しておきます。宮城県、仙台市のチネラヴィータです。7月13日からやってます。偉いっ。近隣のみんなはぜひどうぞ。

というわけで追加というか変更点として同じ文章をもう一度。

きっちり参議院選の前に上映を果たす立派な都道府県は東京大阪以外では大分、石川、沖縄、次いで福岡、広島、愛媛、宮城です。

実は「西日本ばかり・・・」と、ちょっと残念に思っていたんですよ。
宮城県、よくやってくれました。仙台には以前店舗の仕事で滞在していました。とてもいい街です。と、急に褒め出したりして。

【追記終わり】

風当たりが違います

前作のときも選挙前、今作も選挙前、同じです。しかし今回はタブー視されているようで、いわゆる言葉狩りの仲間であるところの「キモい空気と全体主義によるなかったことにしよう運動」が展開されています。ああキモいわ。この件はちょろっと別枠日誌で書いた(「選挙2」の公開6日から)のでよかったら読んどいてください。

七藝

というわけで大阪は十三の第七藝術劇場へさっそく行ってきました。
七藝は近所に喫煙天国サンマルクカフェもあるし、出入り口のすぐ横に灰皿があるのでそれだけでたいへん居心地が良くて、もちろん選択する映画もいいしイベントにも積極的でいい映画館です。と褒めながらニーチェの馬以来行ってなかったことが発覚しまして、あまり行けなくてすいません。そんなことはともかく。

「選挙2」は「選挙」を踏まえまくっている

こんなこというとあれですが「選挙2」は多くの部分で「選挙」を踏まえています。
ぜひとも「選挙2」を見る前に「選挙」を押さえておいてほしいと思いました。
というのも、「選挙」で山さんが行っていたどぶ板選挙の実態ですね、散々やってきたあの変態的選挙運動、あれを今回はやらないんです。一切やりません。なにもしません。
何もしない感が序盤からずーっと横たわっていて、実に不思議な雰囲気の選挙映画です。この不思議な感覚は前作でやってきたことをやらないからこそ生まれてくる不条理感というか変な感じなのです。前作でやってきたことを十分知って観るほうが面白いに決まっています。

選挙に関するネタだけでなく、もうひとつ全体を包んでいたのは原発事故直後の絶望感です。
山さんの再出馬の理由、もしかしたらそこらあたりにあるのかもと思いました。絶望的状況の中、自分がやれることは何かということを考えるといてもたってもおられないというそんな感じも受けますし。

突きつけ

この件は日本人全員あるいは日本そのものへの突きつけでもあります。
2011年4月という時期に、原発事故などなかったような振る舞いの候補者や有権者です。マスクしているのはただの流行ですか。なかったことにしようとしてもそれはそこにあります。チェルノブイリのときと違い、住民避難もなければ放射能の封じ込めも事故の当面の収束もなにもなく、溶け落ちた燃料が地中深く沈み地下水や海水を汚染し続けて手立ての方法すらわからないままに2年を過ぎて原発推進政党が多数の支持を集めているという末期的状況です。
被爆被害が突出しないよう日本全員玉砕気分で汚染物を食べて満遍なく病気になれという発狂政策を進める政党が大人気という、これは何故ですか。謎です。

震災映画

「選挙2」は震災映画でもあります。少なからず恐怖を感じていた人達は今どこへいってしまったんでしょうか。砂漠に頭を埋めたままニタニタ過ごしているのでなければ、諦めと絶望の果てに集団自殺を着々と進行させているんでしょうか。

もし今の時期に事故の絶望感が過去のものと思ってるとすればとんでもない間違いであると、そんなことは映画の中では誰も言っていないが映画自体が言ってるような気がしました。気がしただけなので本当はどうとか判りません。

恐怖を忘れたふりをしたり事実から目を背けて日常のルーティンに埋没する滅びの国の住民は毎日せっせとじゃがいもを食べ馬の世話をする老人と同じです。あるいは「遊んでいたら映画に撮るよ」と言葉をかけられ、慌てて元の場所に戻り遊ぶ演技を始める子供たちと同じことです。
演劇」のときに大人は多重のペルソナで出来ているのだという話がありましたが、今の時代最も多くの人間が作り上げている困ったある種のペルソナは選挙結果にも大きな影響を及ぼします。

さゆりさん

さてそんなわけでコロっと話変わって期待のさゆりさんについてです。
想田監督全作品の中でも柏木パパと並んで人気の高い登場人物、山さんの奥様です。私の一番人気は橋本さんですがそれはともかく、さゆりさんのいいシーンがひとつあります。

「ちょっと待って!」と山さんが食べる前にラーメンのスープを一口奪うさゆりさん男前!

です。

奇跡のショット

神が舞い降りたかという奇跡的ショットをカメラに収めるのは狙っているわけでもないしかといって奇跡でもありません。でもそれは起きます。必然という名の偶然を呼び寄せるのも才能と努力の果てに来る結果です。

ゆうくんの郵便局でのシークエンス、そしてラスト近く、ポスターにもなっているあのショットです。

「選挙2」が告知され最初にこの写真を見た時はあまりの素晴らしいショットにのけぞりましたよ。奇跡の写真と大騒ぎしました。

選挙2奇跡のショット

それからまだあります。予告編にも使われた洗車のシーンです。
洗車しているのを車内から撮っています。ほんの短いシークエンスですがとても重要です。

まず構図です。水をぐあーっと浴びたフロントガラスを映します。
この絵面、みなさんの心の奥にもこびりついていることでしょう。そうです。ミヒャエル・ハネケ「セブンス・コンチネント」の苦しすぎる洗車シーンと同じなのです。え?こびりついてませんか?何観ていない?それは仕方ありません。
この構図のこのシーンには不穏や不安が付きまといます。とてもよいです。

もうひとつ。ここでカメラを構える監督本人がガラスに反射して映ります。
ついにばばーんと登場する顔出し監督です。カメラの重みのためか、それが普通の撮影時の顔なのか、いつもの温和な顔から想像できないような、鬼気迫る顔です。
まるであの、ほら、ホラー映画の都市伝説になるような一瞬の映り込みですよ。ここ見逃さないように。

未来への予見

で、結局2011年4月のこの映像群は2年後またそれ以降の日本のプロローグなのか縮図なのか何なのかです。

監督によると、2011年当時カメラを回している時は「なんか変な映像撮ったな」と漠然と思っていて、そんで1年半後にピピっと来てがむしゃらに編集し、如何にこの一地域の選挙戦が日本の未来を予見していたのかを実感したそうです。

まったくもってその通りで、この選挙戦当時、私個人はもう気持ち悪くて仕方なく、無関心と知らぬふりと全体主義的言説の数々に、近い将来の絶望を実感してうんざりしまくりの助だったわけですが、こうしてあらためて編集されたわずか2年前の選挙戦の映像を見ると、あらためて再認識できるなと感じた次第です。

もう公開終わってるけど「汚れなき祈り」って映画があって、あれは一見特殊な事件の話だけど、有権者の投票(または非投票)行動と根っこは同じなわけで。汚れなき穢れというかね、「アメリカンクライム」のボンクラ少年少女とおなじというかね、候補者も有権者も、もう大概にしないといけませんよ。もう遅いけどまだまだくいしばってもいいと思いますよ。

面白いんです

ゴチャゴチャ書きましたが、とにかく面白いんです。人が文句言ったり争ってるのを見るのはほんとに面白いし、登場人物たちの会話もいいです。なんか性格が垣間見えて面白いんですよ。監督ですらそうです。
普通にたいへん面白い映画であるとちょろっと言っときますね。

****

てなわけで「選挙2」参院選前に全員見てください。知性あるみんなはぜひ投票行動を。

感想文、自分のツイートを無理矢理集めて散文的でまとまりなくほんとにすいません。
最後のほうに選挙・投票について吼えてしまいましたが、ちょっと考えた結果消しました。なんか攻撃的すぎて場にそぐわないし。
消した部分は やんぐの衛生日記の選挙・投票 に行きました。

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