ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド

Night of the Living Dead
ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド

民家に立てこもり生ける屍に襲撃される人々を描くジョージ・A・ロメロによるゾンビ映画の礎。最早古典にして美術品。

ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド

ビデオが普及してレンタル屋なるものがちらほら出てきた頃に「伝説の」と言われカルト的な扱いであったロメロの元祖ゾンビ映画であるこの「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」を観たくて観たくて仕方がありませんでした。レンタル屋に並んだホラーコーナーの映画を全て制覇し終わってもこいつだけは入荷せず、日本語版がなかったのかレンタル版がなかったのか、とにかく観ることが出来なかったんですね。
その後、誰かが手に入れた輸入盤を「眺める」ことが出来たのですが、英語がわからない上に飲みながら遊びながら観たものだから全く内容を覚えておらずそもそもちゃんと観ていなかったという。

そんな思い出の作品ですがもうすっかりその存在自体を忘れ、ロメロが作る今世紀のゾンビ映画にどうしても面白さを見いだせず、ゾンビ系ジャンルそのものに対しても「もういいや、どうでも」と思っていたのであります。

しかしある日、はたと思い立ってこの礎的作品をきちんと観てみよう、と。生ける屍が人を襲うカニバリズムを最初に描いた敬意を表すべき作品です。たとえ今観て面白くなくても、このニューヨーク近代美術館にも所蔵される最早美術品を知らぬ存ぜぬでは自分に対して恥ずかしい。よし。妻よ。こいつを観るぞ。あいよおまいさん。観ようじゃないか。

というわけで1968年に製作されて以来、初のまとも鑑賞と相成りました。

で、これが面白いのなんの。時代的に製作費的に稚拙なゾンビの特殊メイクを除けば、演出的にもシナリオ的にも圧倒的な面白さです。さすが後の時代におもっくそ影響を与えジャンルにまでなったゾンビ映画の実質元祖作品。ただのリビング・デッドのワン・アイデア映画じゃありません。
リビング・デッドの襲撃によって民家に立てこもる数人の人間ドラマが中心で、いろんな奴が登場し、彼らの一挙一動に注目できるようになっています。系統やジャンルが確立されていないオリジナル作品にこういう言い方は変ですが「お約束が通用しない面白さ」をすでに持っています。お約束なんかまだないのに、後の世の亜流作品やジャンルに対するイメージが作り上げた定石やお約束をきちんと裏切ります。

この完成度の高さは何事でしょうか。さすがに礎と言われるだけのことはあります。オリジナリティに溢れ、アイデアに溺れることなく最高のシナリオを付加し、一本で完結する映画的な力に満ちています。カルト的に人気を集め、亜流作品をはじめフォロアーが頻出するのも当然の名作。伊達やおまへん。

ここで「後に大きな影響を与えジャンル化するほどのアイデアに基づいた虚構」について気づくことを書きます。リビング・デッドもそうだし、文学ではタイムマシンや宇宙戦争もそうですが、オリジナルの力強さは半端じゃありませんね。後世に様々なフォロアーを生み、ジャンルとなりひとつのネタとまでなります。そうなってもオリジナル作品の面白さは全く変わりないという、このオリジナルが持つ神秘の力は格別です。
極端なアイデア物でなくても、物語の基本としての古典文学や、さらに遡って神話レベルにまで考えを広げると、突如ここで大きな話になりますが、これは所謂ユング的な意味で人間が持つ普遍的な物語というものに思い当たります。人類共通の潜在意識に潜む物語の根源が神話とすれば、リビング・デッドやタイム・マシンは原始から組み込まれネットワーク化している神話のひとつではあるまいかとさえ思えるのですねえ。

この作品が描くカニバリズムや反モラルは、ポジティブな物語の裏側、夢に対する悪夢の発現、エスからの衝動、つまり負の神話の放出でありまして、ロメロがたまたま表現し完成させた映像作品ですが実は人類が太古から共有している普遍的な物語ではないかと、そういう話ですが、ちょっと話が大きくなりすぎて褒めすぎか。
大袈裟なことを考えずとも、この作品は大層おもしろい映画であると、そういう話だけで十分だったわけですが。

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