奇跡の海

Breaking the Waves
ラース・フォン・トリアーの放つ「黄金の心三部作」、というより「女優虐め三部作」とも呼びたくなるピュアでか弱い女性をいたぶり尽くす三部作のその一本目がこれ。奇跡の海。
奇跡の海

心が豊かで優しくて、素朴でピュアで純情で、あふれるばかりの愛の人、そういう女性がおりますな。
いろいろと女性をいじめるんですな。
心が豊かだと傷つきやすいですな。そこでストーリーだけじゃなく撮影中も徹底的にいたぶり尽くすんですな。
客、泣きますな。

と、朝丸の動物いじめをやっている場合ではなく、この「奇跡の海」は後の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「イディオッツ」「ドッグヴィル」といった強烈辛すぎ映画に全く引けを取らない96年の奇跡の作品です。
女優をいじめ抜くトリアー作品ですが、どの作品もその質は超絶一級品にて出演女優はアクターとして最高の仕事を成し遂げることになり何年も何十年も評価され続けるという栄誉を手に入れます。
「奇跡の海」の主人公ベスを演じきって我々観客に嗚咽の涙を提供したのは奇跡の新人エミリー・ワトソンです。
96年ヨーロッパ映画賞年間女優賞、97年英国アカデミー賞女優賞を獲得して話題沸騰、高い評価を寄せられました。
作品自体も96年カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ、全米映画批評家協会賞、ニューヨーク批評家協会賞を獲得。高い評価です。

ジャン=ピエール・ジュネは、当初エミリー・ワトソンを念頭に置いて「アメリ」の脚本を書いたのだそうです(フランス語などの壁のため役を断ったのだとか)
無垢で病気で一途で愛のかたまりベス。変で可愛く哀れで朴訥で強くて弱い、そういった「奇跡の海」での彼女の独特の魅力は、芸術家に強いインスピレーションをもたらしたのでしょう。

さて「奇跡の海」ですが、さほどドグマ95など映画技法に縛られていない作品で、人物描写やストーリーの運びに実験的なるものはあまりありません。今見るとむしろ所謂「普通の映画」のようなストーリー展開や演出に出くわして少々驚くくらいです。
トリアー監督の作品は実にドラマチックです。つい技法やこだわりの部分に注目が集まりがちですが、この監督の作品に脈々と流れる「強烈ドラマ性」は本来観客を選ばない説得力と破壊力を持っていて、どちらかというとそっちの技法に注目してもらいたいくらいです。
物語を物語り、人物を描き倒し、リアリティを感じさせ、深くドラマに引きずり込む。そういう超オーソドックスな実力部分が「奇跡の海」でも存分に発揮されています。
少々ドラマチックすぎて「こらこら」と思わないでもない割とぶっとんだ脚本ですが、そういう嘘くささも役者の力と演出力で強引にカバーします。

お話はエミリー・ワトソンが演じるピュアすぎる女性ベスが恋をして結婚するところからです。みんなに「おいおい結婚できるんかいな」とか「相手の男はどないやねん」「だまされてるんとちゃうか」と散々です。
その散々の理由はすぐにわかります。ベスは普通の女性とちょっと違うんです。
そしてもう一つ、閉鎖的で保守的な田舎の人間の薄ら寒さも表現しています。こちらは「ドッグヴィル」で超開花したあの田舎者批判です。「奇跡の海」でも強烈ですよ。
ベスが普通の女性とちょっと違うっていうのは、これはもう反則中の反則、このピュア設定がすべての悪の根源です。トリアーさん、あんた悪魔でっせ。

というわけでベスがどうなってどうなるのか、お話は皆様各自ご覧になるとして、ラストからエンディングにかけては嗚咽と身悶え、涙と鼻汁でぐしゃぐしゃになり「トリアー許せん。殺す」とすら思うでしょう。
思わない人もいるかもしれませんがそんなことはどうでもよろしい。

スコットランドの海沿いの風景は心に焼き付き、ベスの純情はトラウマとなってこびりつき、田舎者の恐ろしさを痛感し、ヤンの、いったい全体ほんとうのところどうなんだ的な複雑きわまりない人物設定に改めて感心し、唯一の救い、ドドの優しさをまざまざと思い出し、一部ちょっとした単純なシーンの垢抜け加減にも妙に感心し、そしてもういちどベスの一挙一動を思い出していたたまれなくなるという、そんな素敵な体験をあなたにもチェルシーあげたい

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