ロブスター

The Lobster
「籠の中の乙女」のヨルゴス・ランティモス監督2015年の映画「ロブスター」は有名スター共演の英語ドラマでジャンル不詳の偏執狂的批判的ニュータイプニューウェーブSFディザスターラブロマンス行動心理学ナンセンスコメディの怪作にして傑作。地獄とギャグで逆接的愛の証と生きる意味。
ロブスター

アルプスを探していたらロブスターを見つけた

籠の中の乙女」のあと「Alps」ていう映画があって日本でも紹介されそうな案配でした。続報を楽しみにしていたのにいつの間にやら頓挫した模様で「おや?そういえば何年か前にヨルゴス・ランティモス新作の話あったけどどうなった?きっととっくに上映終わっててDVDになってるに違いない」と検索して探してるとこれが全然見当たらず、代わりに新作「ロブスター」ってのがあって、これをこれから公開するらしいと。それでてっきり「アルプス」の公開が遅れに遅れて「ロブスター」って邦題になったのかと思いかけましたがそうではなく新作でした。

「なんと新作やがな。これはえらいこっちゃ。例え仕事の締め切りが遅れようと月見うどんを食い損ねようとこれだけは見なければ。でも田舎町に来るのはどうせ一年後だろう」と舐めていたらちょっとだけ遅れてもう公開するという。ありがたやーありがたやーと早速観に行きますね。

その前に、探していた前作「アルプス」なんですが、これ結局日本に入ってこなかったんですね。どうか今からでも遅くないから仕入れてください。公開難しいだろうしDVDスルーでもいいですので配給さんお願いします。


ALPS – a film by Yorgos Lanthimos.

ロブスターscene3

多国の製作、英語ドラマ

さて「ロブスター」は各国にまざってアメリカも製作に入っています。言語が英語による映画なんです。アメリカ始め、世界に売る気満々です。しかも英語ドラマなだけじゃなく、キャストが有名スターたちです。コリン・ファレルにレイチェル・ワイズ、ジョン・C・ライリーにベン・ウィショー、いくら「籠の中の乙女」で一世を風靡したからといって突然これはやり過ぎではないかと、とても不安になりました。大丈夫だろうか、大丈夫だろうか。はい。大丈夫でした。

最初に結論を言いますと、とても面白い映画でした。不安をものともせず、期待を裏切らず、細部にも命を吹き込みましたね。ほっとしました。

ただ「籠の中の乙女」の爆裂パワーは少し控えめに感じます。その理由は多分自分にとってはこれだろうなとわかっています。それは比較的一貫性がある部分です。世界感の辻褄が合いすぎて不条理感やシュールさがやや控えめです。もう一つ。ドラマ的にちゃんとしている部分ってのもありますね。
でも実はそれらこそが本作の面白さであります。

辻褄

とっかかり部分の「パートナーが見つからなかったら動物に」の突飛さだけを見るとサブカル臭いおちゃらけ系かと思いがちですがまったくそんなことはありません。世界の設定、社会のルールはきっちりしていて、そこで暮らす人であればこその思考形態があります。ここまで踏み込んでいることこそが「ロブスター」の最大の醍醐味となります。

SFではいろんな突飛な世界設定があります。しかし大抵の場合、突飛な世界感の中で語られる物語や登場人物の思考形態は普通社会の普通の人間の思考です。希に思考形態そのものの突飛さをテーマにするものもありますが、その突飛さを物語る語り口は正常世界のものです。それ以上やればもはや一般文学や物語として成立しない文法になるからですね。
ところが「ロブスター」ではそれに挑み、成功させました。これは実はたいへんな快挙であると思います。

世界

世界の設定、社会のルール、そこで暮らす人の思考形態が何であるかという点ですが、これはとっかかりである「パートナーは必須である。パートナーを見つける強制施設も存在する。しくじると動物にされる」という程度の認識でまずはいいだろうと思います。
というのも「ロブスター」では世界の設定、社会のルール、そこで暮らす人の思考形態を小出しにして、その開示こそがストーリーそのものに他ならないからです。どんなに鈍感な人であっても最後には設定とルールと思考形態を理解出来るようなエンディングが用意されていて、それを見てのけぞっておののいてしまうという喜びを与えられます。この親切設計が最初に「籠の中の乙女ほどではないかな」と思ってしまった罠のひとつでもあります。

設定=シナリオ=技法の三位一体

世界の設定、社会のルール、そこで暮らす人の思考形態があり、それを小出しにしていくこと自体がシナリオであるというわけで、その次に来るのが映画の表現技法です。映画の表現技法は「籠の中の乙女」に近い超虚構的なセリフの読み方や役者の立ち居振る舞い、出来事の順序からギャグ、個性的な演出そのものと直結します。
「ロブスター」の怪っ態な演出やストーリーテリングはとってつけたような底の浅いヘンテコリンさなどではなく、この映画のシナリオを紡ぐための必然なのですね。このストーリーだからこの演出です。この演出だからこのストーリーです。そしてこの演出によるストーリー・シナリオは映画全体の設定と目的を描くための必然となっています。

設定、シナリオ、表現技法がすべて必然という循環の中で完成されています。この三位一体の件はここでもたびたび口にしていますが、これらが突飛であればあるほど、突飛さの説得力を持つものであればあるほど、創造という仕事として最高級の賛辞を送りたいと思ってしまいます。

ロブスターscene2

有名スターのキャスティング

観る前は英語ドラマであることとスター俳優を起用したことが不安要素でした。でもまったくの杞憂であったわけです。それどころか、このことはヨルゴス・ランティモス監督に新たな可能性の芽を植え付けたんではなかろうかとさえ思ってます。変わった演出をする人だからこそ、映画の基本でもある演技というものに注力することで表現の幅が広がるんではないかと感じるんですね。結局何だかんだと言って演じる人の実力というのは映画作品にとって大きいものですから。

「籠の中の乙女」みたいなのをこの映画に期待しすぎると、突飛で個性的とはいえ普通のドラマ演出に寄りすぎていることが気になるかもしれません。私も最初はそんな風に思ってしまいました。でも逆に、もしこのキャスティングで籠の中と同じような演出をしていたらどうなっていたでしょう。それこそ何か変なテイストだけが強調された自己満足みたいな仕上がりになっていたかもしれません。
「ロブスター」では、きっちり演技できる俳優に必然があったと思っています。
さきほどの話の続き言うと、世界=シナリオ=表現技法を実現するための必須項目こそが実力ある世界的な俳優たちだったということですね。さらに、俳優の実力があればこそ実現した表現技法でありストーリーであり世界設定であったと。四位一体ですね。ここまで言えるかと思えます。

コリン・ファレル

コリン・ファレルが腹の出たおっさんみたいな役で出てきます。これには驚いた。最初誰か判りませんでした。太くて垂れた眉毛を見てコリン・ファレルみたいだなと思いましたがそれでもまだ気づかなかったという。いやあ、この主人公役は素晴らしかったですねえ。ボディランゲージを言葉で説明するシーンとか最高でした。明確に愛の映画である「ロブスター」で凄く嵌まっていたと思います。この俳優の魅力は「ヒットマンズ・レクイエム」と「オンディーヌ 海辺の恋人」が印象深かったですが今後代表作は「ロブスター」一決ですね。

レイチェル・ワイズ

レイチェル・ワイズは最早大物過ぎて何とは言えませんが未だに「ハムナプトラ」とか言ってしまいます。強く印象に残ってるのは「ナイロビの蜂」や「アレクサンドリア」でしょうか。今回の役がまた素晴らしくてですね、もう何をやらせてもやり遂げる完璧女優ですね。森を駆けるシーンとか実に見事で震えました。それから何といっても「触って当てようクイズ」のシーンが凄すぎて、あ、そうだ、触って当てようクイズといえば、私はこの映画中最も好きなシーンがあれのあれなんです。あれではわからんか。テニスボールのところです。あのシーンだけでも40分語れます。実際家に帰ってからあのシーンについて40分しゃべり倒しました。あれはネタとして文学として宇宙としての完成度を伴った(以下40分削除)

ジョン・C・ライリーベン・ウィショーレア・セドゥ・・

特にレア・セドゥですね。彼女いい感じで嵌まってました。何本かしか観ていないけど出演作では全部印象深いです。直近では「アデル、ブルーは熱い色」が凄かったですよねー。あの目、あの目にはもうかないません。どうにでもしてっ。
ベン・ウィショーは見ているようであまり見ていませんが「パフューム」の時とは随分雰囲気も変わっていますね。家族三人のシーンよかったですね。
ジョン・C・ライリーは多作に出演されてるベテランですね。あまり見かけないのですが「おとなのけんか」がめちゃ良かった人です。今回の役もとてもいい感じ。

出演者のことも言い出したらきりがありませんね。そうだ大事な人をひとり。

アンゲリキ・パプーリァ

Angeliki Papoulia

「籠の中の乙女」のキキ、多分「アルプス」にも出演しているんじゃないでしょうか。「ロブスター」では客室係ですね。最高級のいい役でした。そして、もはや彼女の芸風なのか、あの狂気のダンスを少しだけ見ることが出来ます。この一瞬を見るだけでもう入場料の元を取れます。あのシーンだけ売っていれば買います。この女優はすごいです。何がって、存在そのものが。

ロブスターscene1

細部

細かく面白いシーンに満ちています。もうほんとに。ギャグもそうですし、そうじゃない部分もそうです。いちいち書きませんけど、細かいところの面白さが際立っていますね。足のところとか。子供のところとか。兄の件とか。あのカップルのショータイムとか。怖いあの人との件とか。滑舌とか。綺麗な髪のあの子のあれとか。ボディランゲージとか。ボスの目線やまなざしとか。うさぎ持ってくる彼とか。そうそう、あの彼、あの彼の味わい深さは何事ですかと。まあ、書きませんとか言いながら書いてますが。面白細部は保証付き。これがあるからこその全体の良さでもありますね。細部は説明のためではなく映画に命を吹き込みます。

全体主義批判

「籠の中の乙女」と「ロブスター」の設定上の特徴は独裁やファシズムについての批判的パロディですね。これが貫かれています。じつは「籠の中」より「ロブスター」のほうこれに関しては相当強いです。

全体主義社会への批判で筆頭に挙がるのがルールというものです。全体主義者はルールが大好きだし全体主義国家はガッチガチのルールで国民を縛り上げ、縛り上げられる全体主義国民はこれを喜びます。ルールはルール外のものを排除するためにあり、排除排斥は全体主義者の最も大きな喜びです。

厳格なルールこそ自由と敵対する悪辣なる営み、ルールの下の自由を標榜するような狂った常識がまかり通る社会で、「ロブスター」はルールガチガチのルール映画を世に放ちました。
見終わってすぐには気づきにくかったこの映画の攻撃性がじわじわと押し寄せてきます。

独裁者が大好きなルールと言えば個人と家族に対する道徳の強制です。とりわけ家族の絆とか役割とかそういうものが大好きで、一家の長が家族を守るだとか奥さんは子を育て優しく尽くすとか、女性は賢くなってはいけないし職業に就くなどもってのほかとか、そういう価値観を国民に強いるのが独裁国家の特徴です。人のことなど放っておけばいいのに、独裁者はとにかく市井の下々を歪んだ変態的道徳と価値観で縛り上げようとします。ヒトラーもそうでした。フランコもそうでした。安倍晋三もそうですね。

「ロブスター」ではまず「パートナーがいなければならない」とこれを直接的に表現します。強制的なパートナー探しと強制的な絆というものにさほどの違いはありませんね。

「籠の中の乙女」も「ロブスター」も強烈な全体主義批判の映画であることは疑いの余地がありません。「籠の中の乙女」では独裁者と無自覚な隷属者による不条理を描きましたが「ロブスター」では全体主義世界をすでに不条理ではなく成り立っている世界そのものを描きました。

あらゆる物事がルールで成り立ち、社会のためにルールがあるのではなくルールに沿うことが社会が存在する意味だと言わんばかりの、そうです、愛さえもです。

愛とは何でしょう。愛は概念でしょうか。愛は行いでしょうか。ミヒャエル・ハネケは「愛、アムール」でプチブル階級が愛と呼んでいるそれがプチブル階級ならではの都市幻想に過ぎないのではないのかと疑問を呈しました。
「ロブスター」では愛の行いを行動心理学的見地から逆分析して解明します。つまり愛と我々が思い込んでいるものは社会により作られた愛という名のルールに則った思考と行動のパターンにすぎないということです。

愛とは事象と行動であり愛を得て育むには事象と行動の裏付けが必用でその裏付けこそがすなわち愛であり愛と認識し愛を産むのであるという、まこと正しくまこと批判的に都市型社会の資本主義的愛を分析してシナリオに反映させています。

夢と分析

世界に対する違和感を言語化すると歪な世界が出現します。「ロブスター」の世界とルールは単なる思いつきギャグでも突拍子もない出鱈目でもなく、現実の映し鏡に過ぎません。SFは基本的に現実をカリカチュアライズして批判する文学です。ですので「ロブスター」をSFとカテゴライズすることに最初とまどいますがよく考えれば至極真っ当であると判ります。SFには60年代から始まった新しい波という動きもありました。もちろんニューウェーヴのことですが、この新しい文学運動では夢や精神分析、つまりシュルレアリスムの技法を取り入れたことが特徴です。シュルレアリスムの技法は60年代から70年代、モンティパイソンによってギャグへと昇華していきました。
こんなこと書くと元も子もありませんがこの流れの延長線上に「籠の中の乙女」や「ロブスター」があると認識してもいいと思います。現代では一連の流れの果てに、垢抜けたり時にずっこけたりする羞恥や居直り、そして細やかな表現が入り込んだりします。これが大事で、ヨルゴス・ランティモス監督が絶対に外さない部分であると思います。

結論

論でもないのに結論とはわし頭おかしいのですが、「籠の中の乙女」と「ロブスター」について最終的な感想はこうなんです。どうなんですか。こうです。

「籠の中の乙女」より「ロブスター」のほうが優れているし完成度高いと思います。監督の成長にも目を見はりますし、純粋に映画としてもより高いところに行ってるように思います。見終わった時にもぐっときます。
でもどっちがより好きかというと「籠の中の乙女」です。「籠の中の乙女」にあって「ロブスター」にないものが一つだけあるからです。それは狂気と暴力です。あれ?ふたつだった。
ルールを批判するルールによって固められた「ロブスター」に狂気の入り込む隙はありません。映画そのものが狂気だからです。

より優れ高次へと到達した「ロブスター」はとんでもない大傑作ですが、乱暴で粗野なところもある「籠の中の乙女」が好きっていうのは、べつに何か意味のある感想ではなく、いや、こんな話は単なる好き好きで、しかもたまたまのことですし時が経つとこっちのほうがいいかなと思うかもしれませんし無意味な戯言です。そうですね、意味はありません。「Alps」も観てないし。そもそもこんな感想文に意味などありません。映画は絶賛です。

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