ル・アーヴルの靴みがき

Le Havre
ル・アーヴルの靴みがき

フランス北部の港町ル・アーヴル。以前はボヘミアン生活を送っていた元芸術家のマルセルは今では靴みがき。最愛の妻と忠実な犬とともに暮らしています。
アキ・カウリスマキ2011年の新作映画は、心揺さぶられるボヘミアンと移民の街の社会派ファンタジー。大絶賛。

ル・アーヴルの靴みがき

ラヴィ・ド・ボエーム」の三人の芸術家のひとり、作家のマルセルです。「ル・アーヴルの靴みがき」のマルセルがそのマルセルと同一人物なのかどうかは直接は描かれません。ただ作中にマルセルが「以前は何かと理由を付けて仲間と集まり酒を飲んでいたものだ」と小さく回想するセリフがあり、このセリフを聞いた瞬間「あ、ラヴィ・ド・ボエームだ」と思い出したんです。

この、時を隔てた続編的作品に出会い、もうそれだけで感激したりするのはファンだからです。たとえば「脱走と追跡のサンバ」のうんと後に「虛人たち」に出会ったときのああいう感動に非常に似ています(何の例えやら判らない人にはすいません筒井康隆小説ですすいません)

パリでボヘミアン生活を送る三人の男たちを描いた映画「ラヴィ・ド・ボエーム」から20年近く経ち、今の時代に改めて作られた続編的「ル・アーヴルの靴みがき」の意味を考えるとき、戦慄にも似た感動と畏怖が沸き起こります。アキ・カウリスマキが何を思いこの映画を作ったか。

これまでシニカルで都会的でスマートな作風だったアキ・カウリスマキ作品の中で、この「ル・アーヴルの靴みがき」はちょっと特殊に感じる部分があります。これまであえて主張してこなかったある思いを、ずばずば出してきているように見えるんですね。何やら一歩踏み越えています。それは社会派の部分です。

底辺への愛はアキ・カウリスマキ映画作品に通じますが、底辺の外側にある悪についてはほとんど言及を避けてきたように思えます。ですが今回はなんだか突きつけられたような気がします。わりと強烈に。

今回「ル・アーヴルの靴みがき」には移民たちが登場します。これまで同様、強く社会派の主張はもちろん打ち出しません。しかし移民たちの描き方にそれが詰まっています。街で暮らす移民たち、密入国者たち、彼らひとりひとりの描き方を見てください。たとえば最初にコンテナにいた彼ら一人ずつの顔をゆっくり納めるカメラワークに触れたときに気付くでしょう。少年の賢さの表現もそうです。またあるいは無意味な放送を流しているテレビ映像のシーンなんかもあります。アキ・カウリスマキ映画では感じたことのなかった社会的生々しさを感じます。

そしてその生々しさはすっと姿を隠し、人々のドラマが開始されます。ル・アーヴルで暮らしている末端庶民たち、ボヘミアンたるマルセルの思想と行動、映画の本編で心地よい時間を過ごせますが、このいい人たちのいいドラマ、すべて現実を裏返した夢の国の博愛を描いていることに気付きます。

「非現実的な物語」と監督は語っています。

夢の博愛を描けば描くほど、それが現実ではないということが白日の下に曝されます。

とてつもなくいい人たちの博愛を描いた本作、見終わると心温まり、人間愛に満たされ、なんという素敵な映画を観たんだろうとぽわわ〜んとした気分になります。しかしこれはファンタジーなのです。このファンタジーを描かねばならぬと監督は強く考えたわけなんですよね。そのことを思うと「ル・アーヴル」を見て流す涙は単なる感動の涙ではないということが自覚できるはずです。

社会に対する問題の突きつけはリアル系社会派映画だけのものではありません。アキ・カウリスマキならではの表現技法でそれを行っていることがはっきりとわかる今作です。これまでの作品ではあまり感じなかった社会問題への取り組みを意外に思うと同時に、そこまで芸術家が追い詰められているということにも思い至ります。アキ監督の前進とも取れます。気のせいでしょうか。

「ヨーロッパ映画はこれまで、悪化する一報の金融、政治、そして何よりモラルの危機といった、いまだ解決のみえない難民問題を招いている事柄をあまり扱ってこなかった。何とかして諸外国からEUへやって来ようとする難民たちが受ける、通常ならあり得ない、往々にして不当な扱いについて描いてこなかったのだ。
私にもこの難題への答えがあるわけではない。それでも、このとかく非現実的な映画で、この問題を取り上げたかったのだ」(パンフレットより引用)

アキ・カウリスマキ作品として意外だと感じたので思わずパンフレットを買ってしまったんですが(劇場でパンフレット買うなんて「ブラジル」以来ですよ何十年ぶり)その冒頭に監督からのメッセージとして上記のような文章が掲載されていました。やはり気のせいではありませんでした。

(ちょっとだけ脱線しますけど「ヨーロッパ映画がこれまで取り上げてこなかった」というのはちょっと言い過ぎですよね。描いてきてますよね。いろいろと。ヨーロッパ映画こそが)

難民問題だけでなく、その根底に関わる危機意識も感じ取れます。

パリの一角で好き勝手やっていた昔のボヘミアンは、現代では最早許容されない存在となりました。
都会の懐は限りなく小さくなり、人々の寛容は劇的に減少し、青白い合理主義と気色悪いコスト至上主義によって街からは紫煙と共に余裕というものが消え失せます。余裕と共に博愛も文化も消え去りつつあります。「モラルの欠如」という生やさしいものでない、社会が必然的に向かいつつヤバい方向です。ボヘミアンや底辺の人間が生きられない世の中というのは、無駄という名の代替と予備を失った生態系のようなものです。

これまで散々底辺の弱者や労働者や田舎の人間やボヘミアンを優しく描いてきたアキ・カウリスマキですが、ここに来てもう洒落ではすまされないというカナリア的悲鳴に満ちている、と言うと言い過ぎでしょうか。

監督が感じ取っている危機は我々から見ると敏感すぎるように思えるかもしれません。ヨーロッパの国ですらそうであるなら、どこぞの我々の発狂国家の惨状をどう受け止めればいいのか。

というわけで「ル・アーヴルの靴みがき」は優しさに満ちた素晴らしい映画ですが、ただの脳天気映画ではなく、これは「美藝公」的社会派作品であると断言できるのであります。言い切ってごめん。

てなわけで言い切ったから社会派はもういいとして、素晴らしい映画というのは時として同一内容が多面的に描かれます。美藝公的な皮肉に満ちた作品という見方もできますが、同時に心温まる優れたファンタジーとして当然のことながら成立しています。

いろいろと心に残るシーンがあります。少年の賢さや気配り、近所の人たち、ロック歌手の愛のエピソード、カフェにお酒に煙草に人情。仕草一つひとつ。会話のすべて。絶大な夫婦愛。そして犬。どれもこれも何もかもが美しいほどに見事です。ちょっと凄すぎます。完成形と言ってもいいほどです。最高傑作です。ていうか観ていて震えるほどでした。すべてが愛おしすぎて目頭がじわじわしまくりです。桜も満開です。もうたまりません。もういけません。これほどの素晴らしい映画があってよいものでしょうか。大絶賛の羅列でした。

犬ですが、今回も登場する監督の愛犬。本作のライカは「街のあかり」に出てきたパユの娘で、役者犬5代目だそうです。

「非現実的な映画」と言い切る監督にインタビューアーが質問します。「現実にはもはや博愛精神は存在しないんでしょうか」監督は答えます。「もちろん、まだ存在していると信じています」

少なくともこの映画を作る人がいて、それを観て「素晴らしい出来だ」と感じられる人間がいるかぎり絶望的ではないのでしょう。

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「ル・アーヴルの靴みがき」への5件のフィードバック

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