テイク・シェルター

Take Shelter
大災害による終末の恐怖に囚われた男の物語。悪夢は災害の予知なのか、精神疾患なのか。家族のためにシェルターを整備します。 完璧な脚本、見事な演技、圧倒的な完成度。大絶賛。こんなの知らなんだ。なんだこれは。
テイク・シェルター

「テイク・シェルター」です。軽い気持ちで見始めて、いきなり前のめりで最後まで驚愕しっぱなし、なんだこれは、この大傑作は何事かと、見終わって大騒ぎです。みなさん、この映画ご存じでしたか?私は全然知りませんでした。

簡単に言うと巨大嵐による終末の悪夢に取り憑かれた男が家族を守ろうとシェルターを整備するお話です。予知か、精神病か、という、そういうお話かなー。と、その程度の認識でした。

悪魔憑きの映画でもオカルトでも何でもそうですが、若干荒唐無稽系の映画では、真実を知る人間をとりあえず「精神病の疑い」として描くのは定番すぎるほどの定番です。大抵の場合、精神病ではなくて本当にオカルトだったりします。あるいは一部の映画ではオカルトの実態は精神の病でしたーというオチになったりします。どちらにせよ、途中までは面白いけど結局は落ち着くべきところに落ち着くというのが映画の定番です。
「テイク・シェルター」はそこんところに挑みました。今までありそうでなかった、予知と精神病の部分に集中した物語です。とことん突き詰めます。とことん描ききります。とことん意表を突きます。

大災害の予知か精神疾患かという部分、この葛藤をきちんと受け入れる見方をすることによって「テイク・シェルター」は楽しめます。最初からディザスター映画だと思い込んでいるとリアリズム描写についていけず、最初から精神の物語であると思い込んでいると末期的大災害の予感という部分で感情移入できません。
「テイク・シェルター」を楽しめるかどうかは、まず前提として受け入れる側が柔軟かどうかが問われるような気がします。少なくとも、ディザスター映画あるいは心的文芸映画をカテゴライズして、そこから逸脱されると腹が立つような偏狭な人には向いていません。そんな人は少数派でしょうけど。

要素が詰まっています

恐怖に囚われてシェルターを整備する男の地味な話ですが、映画が描写する数々のシーンはいろんな要素が天こ盛りで、むしろ忙しすぎるぐらいです。構成力の完璧さと相まって、その多くの要素は全体としてストーリーをきっちり紡ぎます。要素を観てみましょう。

*

と、ここで下の方まで書いたのでまたこの場所に戻ってきて一つ付け加えることにしました。
あのぅ、私、書きすぎました。
これ以降、ネタバレのオンパレードになってしまいました。いえ、具体的なネタバレはありませんが、どんな感じの展開になるか、どういう映画なのかと、完全に見当が付いてしまう書き方になってしまいました。読み進めるうちに、最初はそうでもないですがどんどんとネタバレを感じ取れてしまいます。
これは消して書き直さなくては。でもせっかく書いたんで、見終わった人がもう一度読んでくれると嬉しいなと、残すことにしました。

ネタバレのない感想というか紹介をまとめるとこうです。

1.ホラーや愛やディザスターや精神病や悪夢や家族や辛い現実やいろんな要素が詰まった映画です。
2.脚本が見事すぎてひっくり返る出来映えです。とんでもない完成度です。
3.役者の演技もとてもよいです。

ちょっとでも「テイク・シェルター」を観てみようかなと思ったあなたは、ここから先を読まず、どうか先に映画を観てください。ではさようなら。
もちろんバレても平気、それでも楽しめるよというタイプの方はどうぞ。

take shelter

はいこんにちは。観ましたか。面白かったですねえ。では先ほどの続き、要素が詰まっているのでその要素を一個ずつ見ていきます。

空と雲

序盤、主人公カーティスは嵐の夢を見ます。空の彼方の不穏な空気、竜巻と嵐です。粘性の黄色い雨が降ります。個人的に、空や雲が好きです。空や雲を見上げるのも好きだし、空や雲に身をゆだねるのも好きだし、写真に撮ることも好きです。きっと多くの人が「おれも」「あたしも」と共感してくれるでしょう。そんな空好きの私やあなたは、空の描写に心動かされるはずです。そもそもカーティスの家のロケーション、あれ何ですか。空に最も近い場所と言ってもいいほどの景色です。いつも低いカメラアングルで空を収めます。そして、その空に感動を伴うような恐ろしい嵐の雲が迫ってきます。CGでもいいんです。恐怖は時として美しさを内包するときがあります。

ディザスター

序盤に主人公カーティスは連続して悪夢を見ます。悪夢はちょっとずつ進行します。嵐は単なる嵐ではなく、終末を引き起こす大災害の象徴として描かれます。リアリズム偏向の人はちょっと注意してくださいね。黄色い雨に打たれると、生物が凶暴化してしまうのです。これを素直に受け入れる心の余裕がない人は、終末の大災害発生時におけるパニックや暴動の象徴であると捕らえてもいいかもしれません。実際のところ、終末的大災害に直面してもパニックを起こすのは市民ではなく政府なわけですが、まあそれはともかく、いずれにせよ、嵐のディザスターは終末を想起する大災害であり、主人公カーティスは敏感にそれを察知している、あるいは察知を妄想しているということです。

ホラー

主人公の見る進行する悪夢のシーンは、注意深く見ていると序盤に集中させ、後半には登場しなくなることがわかります。悪夢は続いているのですが、実際のシーンではなく、カーティスの証言としてしか登場しません。にもかかわらず観ているこちら側はその悪夢にリアリティを感じ、どのような悪夢なのか想像して恐ろしくなります。
それは、序盤に徹底的に悪夢を恐ろしく描くことに成功しているからです。ここにはホラーの要素が詰まっています。もうね、本当に恐ろしい序盤の悪夢シーンです。これをたたきつけられ、我々はすでに恐怖しています。
最高の恐怖は想像の中にあります。後半、悪夢シーンを描かなくても、その恐怖を想像する手ほどきを序盤に受けていますから、観客の脳内に恐怖だけが成立するんです。これ、見事な技法です。

精神

「テイク・シェルター」の本筋、精神です。これは本編を是非ご覧になって堪能してください。非常に丁寧に作られています。主人公が自らの精神病を疑い始め、それに対峙するわけです。見応えあります。

終末

主人公カーティスが怯えるのは嵐による終末だけではなく、精神病に苛まれる己の症状です。終末への予知と恐怖から彼は突飛な行動を取り始め、そのために終末を待たずとも自分の日常、自分の世界が崩壊していきます。
徐々に本末が転倒し始めます。いつしかカーティスは終末願望論者の特徴を持ち始めます。いわゆる終末思想に取り憑かれた人間が必ず向かう羽目になる「いや、終わるのは世界ではなくお前だから」の状態に陥るわけです。
このへんについては「メランコリア」にも書きましたが、あっ、そうですそうです。そういう意味で「テイク・シェルター」はまさに「メランコリア」と同じテーマを扱っている同じような映画であると言えるんです。

メランコリア」「サクリファイス

「メランコリア」と言えば「サクリファイス」です。タルコフスキーの名作「サクリファイス」を知らぬ存ぜずでは済まされませんから、きっと「テイク・シェルター」の人は「サクリファイス」を踏まえているはずです。
インスパイアとかパクリとか似てるとかそういう意味ではありません。むしろ昇華させています。この点も「メランコリア」と同じです。ここら辺については詳しく書けません。盛大なネタバレになりますし、見終わったもの同士が確認できれば楽しいと思います。

家族の愛

家族への愛というキーワードはアメリカ映画にはつきものです。大抵は「あ、そう」ですが、これに本気に取り組めばここまで素晴らしい映画ができあがるという見本のような本作です。
そもそもカーティスは家族を災害から守るためにシェルターを整備したり突飛な行動を取ります。しかしそのことが逆に家族を遠く離れたものにしてしまうんですねえ。愛すればこその行動が愛をなくしてしまう方向に動きます。辛いです。ものすごく辛いです。しかしそこで終わってはよくある脚本です。「テイク・シェルター」の見事さはその先にある、失いそうになりながらも愛をですね。まあこれ以上言いませんが、これです。これですよ。愛です。愛。しつこいか。

マイケル・シャノン

カーティスを演じきったのはマイケル・シャノンです。「狂気の行方」ですよ。個性的な役者です。この人、めちゃがんばりました。鬱々と落ち込む様、幻聴に怯える様、家族への愛情、兄貴と会ってるときの弟っぷり、後半の食堂でのあのすごいシーン、もう素晴らしいです。もはや名優の貫禄です。

ジェシカ・チャステイン

奥さんサマンサ役のジェシカ・チャステインも素晴らしいです。「ツリー・オブ・ライフ」で名演を果たした女優さんです。サマンサの役柄もいいし、もちろん脚本見事だし、で、その完璧な脚本で描かれたサマンサをきっちり演じきりました。もう泣きます。何度も泣きます。助演女優賞取りまくりです。

脚本

脚本は監督のジェフ・ニコルズによるものです。ジェフ・ニコルズにとって本作は長編二作目。まだ若い人ですが、はっきり申し上げます。天才です。

脚本がどれほど見事か、それをいちいち書いていくと全てのセリフのネタバレになり、本編の脚本より長い文章になってしまいます。ですので残念ながら具体例を挙げて褒めちぎることは出来ませんが、どういうふうに脚本が素晴らしいかかいつまんで言いますと、まず無理と隙がありません。たいていのこの手の映画のまわりには「ツッコミどころ満載」と言いながら文句ばっかり言う「ツッコミどころ満載野郎」という似非評論家が沸いてきたりします。しかし、本作の脚本にはツッコミどころ満載野郎もたじたじです。突っ込む隙がありません。精神病への疑いから相談の件、行動のひとつひとつ、突っ込むところなど皆無、無理にそれをやってもただのいちゃもんにしかなりません。あまりにもよく出来た脚本は観客が感じる「こうすればいいのに」「ここで喋ればいいのに」みたいな願望にきっちり答え、さらにその上の次元へ行きます。
次に、台詞回しが非常に丁寧で完璧です。ここにも無理がありません。全ての会話シーンが見事です。夫婦の会話、兄貴との会話、親友とのやりとりなどすべての会話シーンを注意深く見てください。どれほど研ぎ澄まされた言葉を選んでいるかわかります。もはや文学者の域です。
さらに全体の構成の中で、風船の破裂のようなシーンが待ち構えておりまして、散々押さえ込んだあげくの主人公の発露があるんですが、その発露に触れて観客の胸はちぎれそうになります。見事な演技と相まって、細部の丁寧さと全体の構成がどれほど上手く作られているかわかるでしょう。

設定

人物たちの設定に関しては、個人的に大好物であるという以外ありません。好物じゃない人もいるかもしれませんのでここは個人的な感想ということに留めます。
まずカーティスがブルーカラーという点です。掘削作業をする現場労働者です。この手の映画で、主人公がブルーカラーの労働者ってのはちょっと珍しいです。しかも、底辺の貧困労働者でなく、いちおうささやかな役職に就いています。いうなれば普通のひとです。最も映画の主人公になりにくい設定ではないでしょうか。
で、健康保険についての設定があります。カーティスの勤めている土木会社は結構大手のようで、悪名高いアメリカの保険の中で、奇跡的に良心的なよい保険に加入していることが示されます。こうした細かい設定がストーリー全てに絡んできます。

奥さんサマンサは専業主婦ですが週末にはバザーに出品したりします。年に一度のビーチ旅行のために、バザーで得た小遣い銭を空き缶の中の「ビーチ」と書いた封筒にせっせと入れます。この健気さに涙が出ます。
カーティスには兄貴がいて、兄弟の性格設定があまりにも兄弟としてハマっています。この会話、兄弟のいる人間、特に弟の立場にある人にはびんびん来ます。
それからシェルターですが、広報のイントロダクションでは「シェルターを作る」と書かれていますが正確には「シェルターを整備する」です。最初から家の庭にシェルターがあります。すでにあるシェルターを拡張するんですよ。で、なんで普通の家の庭にシェルターがあるのか、簡単に書きますと50年代の核時代に世界に蔓延した核戦争による終末の恐怖から核シェルター作りが大ブームになったことがあるんですね。というわけで主人公が手に入れているこの広いおうちは、その頃に作られた中古住宅ということがわかります。この映画の根底にある終末思想の一つの具現化として、核戦争に怯えて多く作られた古いシェルターを利用するという、もうね、映画の最初の発想そのものの設定からして大変奥が深いです。

リアリズム

設定の中にリアリズムを強く感じます。中古住宅の件もそうだし、それに関わる住宅ローンの話、シェルターを整備するために試算する経費の金額、勝手に会社の重機を持ち出してその分浮かせるとか、健康保険の件、紹介してもらった医者のところへはちょっと遠すぎて通えないよなんて言う件、「ほら、母さんがあれだからさ」とか阿吽の会話、もうあちらこちらに生活のリアリズムが満ちています。先に「ツッコミどころ満載野郎もたじたじ」と書きましたが、このような設定のリアリズムに破綻が全くないところにもその理由があります。シェルター整備もリアルに進みます。主人公は土木関係の技師ですから、会社から拝借した重機を使って出来る範囲のことをやっています。シェルターの仕上がり加減もリアルです。
奥さんのバザーの対応も、ホームドラマの嘘くささを超えて彼らの生活そのものにリアリティが充満しています。ここまでリアリズムに徹していながら、大災害の恐怖にもリアリティがあるという、これを両立できたことは奇跡じゃなかろうかとさえ思います。

議論と考察

というわけでいろいろ見てきましたが、物語の最後についての考察が待ち受けています。ああだこうだという議論が映画ファンの間で起きることを期待してのラストでしょうか。

[追記]ここから下は感想文を書いた当時隠していてfacebookページの別の場所に書いていた追記です。これを書いた当時はここに「ネタバレなのでほとぼりがさめたらこっちに書き写すかも」と書いていました。なので何年も経ちましたので戻しておきます。

*****

普通に素直に見ると議論の余地なくあのままのラストシーンでして、あの最後を見てどう感じるかというと、多くの人が家族の愛についてそのハッピーエンドに感動するであろうと思われます。

奥さんの顔、そして夫の顔が映ります。そこには信頼と愛が満ちあふれています。娘もいて、家族もそろっています。世界は終末であっても家族と共に幸せいっぱいです。

絶望を軸に映画を見ている人にとっては、ハッピーエンドながら、実際には最悪の結末にも見えるかもしれません。だってそこにはシェルターがないのですから。
「せっかくリアリズムで精神病を描いてきたのに、こんなラストじゃ興醒めだ」という人もいるかもしれませんが、そういう人はもうちょっと想像力を働かせましょう。

少々捻くれた人なら、あのラストシーンを見て序盤に描かれた悪夢シーンと同じ構図であると見ることができるかもしれません。

あのビーチは相変わらずカーティスの悪夢で、治療中に見ている悪夢でありますから序盤の悪夢とは少々違います。何が違うって、もちろん信頼と愛に満ちた家族に囲まれている点です。一時は「今朝、私を怖がったわね」と絶望に浸る奥さんサマンサでした。最後の夢では終末であっても家族と共にあります。今まで起きてきたことは全無視ですか?全無視です。夢だから。だからやっぱりある種ハッピーエンドと言えるわけです。でもこのハッピーエンドは「未来世紀ブラジル」のラストと同等の、ハッピーなのは夢の世界に入り込んだ本人だけという、どこがハッピーなんだいと。

この見方は想像力働かせすぎかもしれませんが、悪夢シーンを序盤にだけ配置して後半出さなくなった前振りを踏まえての結末としては面白い解釈ではないかと思います。作った人がどういうつもりなのかは知りません。

 

というわけであまりにも見事な「テイク・シェルター」でした。「メランコリア」「ニーチェの馬」に続いて傑作終末映画がまだあったんですねえ。2011年は他の傑作もやたらたくさんあるし、すごい年ですわ。

カンヌ国際映画祭 批評家週間グランプリ、SACD賞、FIPRESCI賞をはじめ、各界映画賞14の受賞、未決定を含む15以上のノミネート。これは批評家の皆さん、黙ってるわけにはいかんでしょう。でも脚本賞こそお願いします。

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