東京原発

東京原発
東京原発
公開年:
2004
製作国:
監督:
主演:
出演:

原発問題+ドタバタ

東京原発

広瀬隆著「東京に原発を」をベースにしたような設定、延々会議室での会話が繰り広げられる奇妙な密室劇に、プルトニウム輸送のトレーラージャックの話が加わり、なにやらドタバタとコミカルな展開になっていきます。

会議室での議論というかお話は、多くのことを詰め込もうとして必死な感じが良く出ていて面白いし、コミカルな演出に関してはこれは非の打ち所がないです。珍妙かつおとぼけ、これが日本映画のコメディである!と膝を打ってしまいました。

核の問題は各自勝手に調べて恐怖の事実を知ればいいと思いますがこの映画は映画として最高に面白いのです。誰がなんと言おうと、それが偶然の結果であろうと日本映画としてかなりの珍作傑作なのは間違いなし。完成してから鑑賞できるまでに長い期間がかかってしまいましたがこのような傑作が埋もれるのはあまりにも勿体ないと思う次第でございます。

2006.02.23

[追記](2011.03.16)

何十年も前から想定されてきた最悪の事態がついに起こってしまいました。

この映画は原発の問題をコメディとして昇華させた素晴らしい作品ですが、もはや笑い事では済まされず、この映画が後半に描いたドタバタどころではない最悪の状況に直面しています。ついに時代が想定に追いついた歴史の大きな転換点に我々はいます。

なぜ原発を容認したり推進する人間が後を絶たないのか、ずっと不思議だったんですが、今回の事故で改めて思い当たる節を認識しました。

この問題特有の興味深い点は、一般的に認知されている知識の偏り以外に、根深い思想的な部分が多くのウエイトを占めるからだということです。思想の根源は人間の想像力による哲学的半ば信仰的な部分です。

まず知識の偏りについてですが、今回の事故を「想定外だった」という類の極端な認識不足も含めて、知識の欠損は共通の論点を見いだせず議論にならないレベルとなります。原発のコストが天文学的に高いことや廃棄物の処理がどうなっているのかについてさえ知らない人がいます。
原発を止めれば電気がなくなる等という幼児のような低レベルの脅しを信じている人さえいます。このあたりは詐欺や洗脳、民衆の愚鈍化の類の話となり、社会学的な範疇で、本質的な原発議論とは無関係となります。
(いやこの問題こそが原発問題の本質であるという考え方もありそうで、それはそれで説得力あります。国民の犠牲で成り立つ複合体による利権問題は突き詰めれば資本主義の議論にまで発展しそうです)

しかし、では誰がどの程度のことを知っているというのか。物理の難しいことや放射線について、原発の仕組みについて、設計や配管について、コンクリートや制御について、あるいは危険性や環境に対する影響についての本当に正しい知識を持ち合わせているのか、と問われればこれは原発を嫌う人たちも含めて専門家でもないのでかなりいい加減な知識です。いや、専門家もいい加減です。嘘付く人もいるし本当の馬鹿もいます。
いい加減な知識の上で議論しているのが実情です。その不確実性を考えれば誰もが議論不能となります。

原発問題では主としてこのような知識レベルについての話に終始します。大抵「知ってるのか」「知らない癖に」という子供の喧嘩になって終わります。知識は大事ですが、知識の量に差があってその差を指摘し合うだけの罵り合いには意味がなく、埒があきません。
実はこの喧嘩の根っこは原発の知識・核の知識とはベクトルの違う点にあるのです。いや、正確に言うと推進・容認派は経済中心に感情レベルで議論しており、反対派は疫学的見地や経験則、あるいは想像力と哲学のベクトルでの議論をしています。中には感情的な人ももちろんいます。

原発を嫌う人の根っこにあるのは千年あるいは万年単位の地球的 規模の想像力に根ざす信仰的な信条、つまり感覚とか感情とかいったレベルの思想です。

例えば燃料や廃棄物の半減期をどう見るか、その廃棄物を大量に保管したり海に投棄したりすることをどう見るか、数年から数百年必要な廃炉の管理をどう見るか、100,000万年1000,000年単位の廃棄物管理をどう見ているかです。

知識レベルではいろいろと突っ込みどころがあったりするそうですが、現実にはそれらを「原発のコスト」にすら含めない冷徹な姿勢が容認・推進する人間の根っこにある考え方です。
100年後など知ったことではないのです。10年後の想像力すらないのです。それはある意味正しい。だって自分は生きてないから。「そんなことを考えれば何も出来ない」というわけです。「落ちるかもしれない飛行機を飛ばすなとでもいうのか」というわけです。比較の価値すらないこうした暴言を信じている感情レベルでの解釈として一理あります。
つまり、信仰心(と言ってよければ)に基づく想像力欠落人間にとって、そもそも核の恐怖というものは存在しないのです。飛行機が落ちることと核燃料がダダ漏れになることは「複数人の死」「ある規模の経済損失」という点以外に質的な違いがないのです。交通事故を起こす1台の車の事故と数年後に多発する子供の甲状腺癌に対して「多少の数の違い」以上の恐怖の価値を見いださないのです。
遺伝子に作用する点についてもそうです。片や遺伝子に作用する害は子々孫々に及び種としての危機感すら覚える人、片や単に癌が増えるだけでしょ他の悪い物と何が違うのという人です。結果は同じでも想像力の違いによる恐怖心の差があるため、その先の知識を知性へと昇華させるときに方向性が大きく異なるのです。
あるいはまた想像力の発現に決定的な差をもたらします。例えば見ず知らずの他所の子に感情移入できるかどうかの違いでもあります。小馬鹿にされ犠牲を強いられる辺境の漁村に思いを巡らせるかどうかの違いでもあります。

ここが原発が好きな人と嫌いな人の決定的な思想あるいは信仰あるいは哲学の差です。
ここが違っている限り、反対派はいくら勉強して知識レベルの議論をしても、感情的な推進派を説得することなど絶対に出来ないのです。また推進派は、いくら癌など誰でもなるから放射能は怖くないとか、核兵器のために原発は必要だとか、国体の為に田舎者は死ねとか力説しても反対派を説得することは絶対に不可能なのです。議論のベクトルがそれぞれ根本的に違うのです。

「人を殺して何故いけないのか」に少し似ています。人を殺すことに根源的な恐怖心を持っている人が、人を殺すことに説明的な解答を求めている人を知識と理屈で説得することが出来ないのと同じです。

というようなことを改めて感じ入った地獄レイヤーの三層目。この時期を境に、日本の歴史は「以前」と「以降」に別れます。どうなっていくのか予想するのも難しいですが生きている人がいる限り歴史は続きます。

[さらに追記] 2011.04.11

チェルノブイリ事故の頃に比べて脱原発の勢いが小さいのはなぜでしょう。
ひとつには、当時の反対派の主張と今現在、その内容に変化がないからかもしれません。
解決しない廃棄物処理の問題、原発コストが最も高い点、代替電力がある点、事故リスクが高い点、推進勢力の利権問題、田舎にリスクを負わせる差別的性質等々。今はインターネットのお陰でそれぞれの情報が専門家による分析も含め十分検証できる状態にあり、しかも実際に人類史上極めて深刻な事故を実際に起こしているにもかかわらずパニックすら起きていないし、相変わらず反原発勢力は力を持ち得ていません。片や電力・政府・広報の複合体は以前の反核運動から学んだ新しい切り口を発見して責任から逃れる術を獲得しています。即ち「放射能なんか大したことないキャンペーン」です。これは皆が見落としていたあまりにも馬鹿馬鹿しくそして効果的なキャンペーンです。
いつの世にも、有事の際には特に多くの国民が簡単に騙されます。国民を騙すには、説得力のある小さな嘘ではなく、荒唐無稽な大嘘のほうが効果的なのです。例えば「神風が吹く」みたいなもんです。
「放射能は安全安心です」「チェルノブイリなんて大した被害はないのです」「危険だと言ってるやつはみんな嘘つきです」「煙草のほうが悪い」「パチンコのほうが悪い」「黄砂のせいだ」「そうそう、基準値を引き上げますね」「海外のニュースはぜんぶ嘘ですよ」と、こんな案配です。

反原発が主張しているのは正しいデータに基づいた正統な内容でありますが、そうであるがために30年前と同じであり、そしてこれをねじ伏せるのは簡単なのです。つまり無条件に全否定するわけです。そもそも放射能の恐怖が存在しなければ、核の問題なんか存在しないも同義なのです。
これに騙される馬鹿者が大量に発生するのは戦時中も今もまったく同じです。インターネットがあっても一緒です。むしろテレビに毒されている分、戦時中より現在のほうが酷いのではないかとすら思えます。
上記3月の追加文で根源的な思想の対立について書きましたけど、事実はそんな高次元な話ではなく、危惧したようにレベルの低い洗脳とペテンの次元に貶められているんです。

これは参りましたね。

The WAVE ウェイブ」という映画で、ファシズムごっこをする生徒たちがシンボルマークや専用の敬礼ポーズなんかを作り上げてはしゃぐシーンがありまして、ああいうシーンをギャグだと捉えている隙に、どんどんとより酷い状況に陥ってしまうという罠が待ち構えておりますよ。ファシズムはとっくに浸透しています。「The Wave ウェイブ」の高校生より日本が酷いことになっていることを自覚できるようにしておかねばなりません。

 

さらに追記。2011.04.12

やっとのことでレベル7認定のニュースです。爆発から1ヶ月放置して、その間「アンゼンアンゼン」とお経を唱えて国民を騙くらかし大量被曝させたあげくの宣言です。おぞましすぎます。
もはや旧ソ連以下の非人道的対応、この状況を皆さん、ちゃんと自覚してくださいね。

ではお気をつけを。

さらにさらに追記。2011.04.17

あまりにも愕然としたのでしつこい追記をお許しください。
首相官邸サイトに、チェルノブイリ事故を超過小評価したデマ記事と言ってよい記事が掲載されてしまいました。
事ここに来て「チェルノブイリは大したことない」即ち「レベル7は問題ない」即ち「福島は安全」即ち「放射能なんかへっちゃら」「政府も電力会社も何ら問題ない」即ち「将来の病気は自己責任で原発事故とは無関係」という宣言を高らかにぶち上げたわけです。
言わば「核の恐怖はない」宣言を出したわけで、数値も胡散臭いし「問題ない」と言い切っていることに関しては明らかな嘘です。もちろん電力会社もマスコミもこれに飛びついて大本営の布教と責任逃れに終始し始めています。
テレビばかり見ている人を「マスコミに洗脳される馬鹿」と散々煽ってきたネットの住民もいよいよ洗脳仲間に落ちぶれて「アンゼンアンゼン」と大本営に合わせて大合唱を始めています。これはかなり危険です。
核の事故も恐ろしいですが、これからますます洗脳国民のファシズムに注意していく必要があります。

廃棄物の映画が公開されました。意識の違いが明確に示されます。100000年後の未来生物の安全のために真面目にシステムを語っていることそのものを不思議な目で見つめる映画です。→ 「100,000年後の安全」 

[追記]
さて事故から一年経ってしまいましたのでまた追記してみます。
この一年間、考えられる最悪を遙かに超えた最悪の政府やメディアの対応に、最早言葉を失い呆れ果て絶望する毎日を送る今日この頃です。事故だけでも史上最悪なのに、政府行政商業会マスメディア御用学者およびそいつらを心棒する洗脳坊主たちの破廉恥ぶりは常軌を逸している状態です。事故直後に考察したような議論などまったく関係ない下劣で低レベルの洗脳と喧嘩があっという間に感染爆発しました。まさか戦時中と同じいやそれ以下のこんな間抜けな状況に陥るとは、思っていたけどそんなことにはなってほしくなかった。
今の時期は追い詰められたプロパガンダ派が「安全」の言葉を注意深く「安心」にすげ替えたりしていますが、基本的に洗脳と全体主義は成功しています。もちろんそうじゃない人たちもたくさんいますが、そんな層は戦時中にも安保の頃にも第五福竜丸の頃にも水俣病の頃にもチェルノブイリの頃にもミドリ十字の頃にもいました。
インターネットの情報はたいへん役に立つしもしネットのジャーナリズムがなかったらもっと酷い状況だったとは思いますが、そのネットもどんどんおかしな連中で満ち始めていますし、油断なりません。と、いいましょうか。瓦礫の拡散などを見てみましても、もうどうしようもないところにすでに来ているようですね。放射能拡散を是か非で論じるとかそういう馬鹿馬鹿しいことが盛んに行われています。挙げ句の果てに「数万人に一人死ぬだけだから問題ない」という戦慄すべき暴言すら普通にあちらこちらで見かけるようになりました。
もう世界が変わってしまった後だということを、まず自覚せねばなりません。戦争状態はまだまだ続いておりまして一部の人は「人の死は他人の死」と暢気に構えていますし、原発事故も1年前と変わらず普通に進行中真っ直中です。
瓦礫と食品による汚染拡大を目指す原子力マフィアの目論見もほぼ成功しそうな案配で、もはやこの国には旧ソ連程度の希望もないし、黙っていれば殺されます。そろそろ亡命を本気で考えている人もたくさんおられるかもしれませんね。

 

※ 追記 このポスト、反原発系のサイトに出典も示さず丸パクりされ、そのあおりを喰らってペナルティを受けてしまった経緯があります。こちらがオリジナル記事です。反原発は結構ですが常識と節度を持っていただきたいものです。

 

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「東京原発」への7件のフィードバック

  1. こんにちは
    東京原発、最近この映画を知り早速ツタヤに走っていって!
    3回観ました(笑)
    「そんなに嫌なら電気を使うな!」
    ディベートに不慣れな(未熟な?)日本人がキレた時の常套句ですね

    ただ、本当に原発が嫌な東北の人達は電気(東電)を使っておらず
    使っている(東電管内の)関東の人々は文句を言わないのですね。
    なるほど、よく出来た構図です。

    (原発時限爆弾の)「スイッチ入っちゃった…」という事態がだんだんと
    現実味を帯びてくる薄ら寒さを感じております。

  2. Dr.サトールさん、コメントありがとうございます。
    原発には多重の様々な問題が含まれており、それらを総括しようとすればこの映画の前半みたいにどうしても詰め込んだり端折ったり急いだりしてしまいがちです。
    都会の需要を田舎が満たす、都会のリスクを田舎が背負う、田舎者は馬鹿であるという認識の上、金と虚語で騙すという地域差別の図式も、様々な問題点のうちの一つですね。
    被曝した上故郷を失う周辺住民の重み、想像しようとするだけで凝固してしまいます。

  3. 昨日、偶然某レンタルビデオ店でみつけおもしろそうだったのでかりました。

    話題がタイムリーでものすごく自分の中に入りました。
    実際の数字や内容に偏りはありますが、全体の意とするところは納得いきます。
    よかったです。

    今の時期同じように見ている人がいないか探してたら、ここを見つけたのでコメントしてみました。

  4. amethystos2さんお立ち寄りありがとうございます。
    数字などの細かい部分で重箱の隅つつきを行っても全体の意は変わりませんからね。
    この映画は学術用途のデータ検証ムービーではないし、ちょっと会議室のシーンは張り切りすぎて妙な味も出ていますが、むしろ娯楽作品の中によくあれだけ詰め込んだものだと感心します。

    原発災害に関しては誤魔化しではない、人々にとって実のある補償がなされることを望みます。

  5. 「東京原発」は山川監督の出身地が近い事も有って以前町のイベントで見る機会が有りました、原子力発電所が通常兵器の攻撃に絶える事が出来ないであろう事は以前から考えてはいましたが、地震に対してもこんなに脆いものだとは思いませんでした、たとえ津波がもっと小さくてもどれか一つ位は似た様な事態になっていたと思います。

    推進派と反対派の構図はなかなか興味深いですね、私も似た様な感想を「九条の会」で感じる事が有りました、まじめな人達は「政教分離」を信じている為なのかアメリカがどうして執拗に世界や日本に干渉してくるのかを上手く説明出来ない様です、一方では宗教が相互理解の妨げになると主張し、一方では宗教的な規範を抜きにしては話し合えないと信じています、ですが宗教を批判している人達もある種の宗教を信仰している様ですが自覚が無い様に見えます。

    過疎の進地方の山間部には風景にそぐわない様な立派な道路が目立ちます、道路が出来れば田舎も便利で住みやすくなると言われていますが、実際に出来上がってみると便利になったお陰で村を捨てて都市へ働きに出る若者が多くなり過疎化が急速に進みました。
    またこんな話も有ります、地方への農業の補助金は倍になって返ってくると、今まで小規模で農家を経営していたのですが今までより大型の農機具を導入する事により労働時間が短くなります、また機会の購入代金を得る為に会社勤めを始めます、こうやって兼業農家が増えました、また余った労働人口は都会に流れ高度成長を支えて来た様です、立派な道路が出来、お金のかかった箱物も増えました、住宅密度の低い地域にも下水道が完備され快適な暮らしを維持する為には随分とお金がかかる様になりました。

    巨大地震が無くても今暫くすれば「世界的な資源の争奪戦」で日本が今までの様な暮らしが出来なくなるのは十分に想定されると思います、私達が消費している資源の多くは私達よりもすっと所得の低い多くの人々の労働によって生み出された物です、その事に目を向ける事が出来なければ日本の将来は今回の災害を超える人対人の苦難に見舞われる可能性が有るのでは無いでしょうか。

    また寄らせて頂きます。

  6. YAMAGATAさん、興味深いコメントありがとうございます。
    そうですね、宗教というか信仰心のようなものがデータを読み解く時や価値判断を下す際に必ず絡んでくると思います。
    ある低確率の危険性を「負うべきリスク」と感じるか「負うべきでない人の死」と感じるかは結局のところ思想以前の感覚的な部分ですよね。宗教というと語弊がありますが、何かしら信仰心的な人としての基本というか想像力というか。
    過疎地に対する差別的待遇(金を渡して黙らせることも含めて)も、どこか遠い場所から「彼らが犠牲になって当然」と考えるかどうかという人としての立脚点に寄るところが大きいと思います。

    今こそ知識と想像力が多くの人に求められます。文化的な国として再建できるのかどうかは国民にかかっていると思いますが、なかなか難しそうな現状です。

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