デッドマン・ウォーキング

Dead Man Walking
凶悪犯罪にて死刑宣告のショーン・ペン「おれ無実」スーザン=観客「どうなんだろう」 死刑問題に真っ向対峙した名作。
デッドマン・ウォーキング

名演技が観たい人にはもれなく最高の演技がご覧になれるでしょう。
犯罪、死刑問題という危ういテーマをよくここまで嫌みなくしかも深く掘り下げて描けたものだと驚きます。
音楽も気に入ってしまった。名作認定。

first appearance 2005.10.02

あまりにも底が浅いメモだけでは寂しいので死刑制度の何が問題なのかを考えてみましょう。

死刑が好きな人の言い分によると、死刑は復讐する機械です。何しろ復讐が全てで、死を以て償えの理論です。国は復讐の代行業者として機能するわけです。

死刑が嫌いな人の言い分は冤罪に関するものと国による生死の決定権によるものがありそうです。
冤罪に関しては、複数人が関わる事実と事実の闘い、第三者がそれを判断することの危うさを説きます。
国が制度として死刑を執行すること自体に問題があると考える人もいます。

復讐代行を考えてみましょう。なぜ国が復讐の代行をするのかと言えば、それは民間業者ではできないからです。ではなぜ民間業者が駄目で国なら犯罪者を殺せるのか、また、国による犯罪者への復讐を国民が切望するのか。それは、国民が国にどれだけ依存しているかに関係します。
権力者に対して「どうか犯罪者に天罰をお与えください」という発想です。つまり権力者=神様と思っているのです。権力者=神様=人の生死を掌ることが出来る権力を持っている、です。
似た発想に税金に関する意識があります。罰則的課税という訳の分からないものを国民の側が望んだりする意識と同じですね。「神様どうか酔っぱらい発生装置であるアルコールに重税をかけてくださいませ。神様どうか私の嫌いな煙い煙草に重税を課してくださいませ」こういうのと同じです。

ほとんどの先進国が死刑を廃止しているのは、権力者を神様と思っていた時代を終えているからに他ならないでしょう。基本的に権力は監視するべきものであって依存して崇めるものではないと身を以て知っているからかもしれません。

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コメント - “デッドマン・ウォーキング” への2件の返信

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