ボローニャの夕暮れ

Il papà di Giovanna
第二次大戦直前のイタリア、ボローニャに暮らす高校教師ミケーレは、不釣り合いなほど美人の妻と消極的な娘ジョヴァンナの三人暮らし。アパートのお隣さんは昔からの親友で警官の一家。 へえ。ほのぼのしたイタリアのホームドラマかなー、なんて思ってるとこれが大間違い。
ボローニャの夕暮れ

何が「ボローニャの夕暮れ」か。ほのぼのホームドラマと思って見ていたら意外な事件が起きてびっくりします。ただの消極的な娘かと思ってると若干精神を病んでいたりします。美人の妻だなあなんて思ってるとこの女が冷たすぎて悲しくなってくるほどです。主人公ミケーレは気のいいおじさんだなあなんて思ってると娘への溺愛は鬼気迫るものがあります。
舞台は確かにボローニャですが「ぽわわーん。ボローニャの夕暮れよっ。すてきっ。はーと」などと思い込んでいるとそういうのとは全然違う演出や展開にあっけにとられるでしょう。
原題は「ジョヴァンナのパパ」です。もちろんこちらのタイトルがこの映画をずばり表しております。
ジョヴァンナのパパはジョヴァンナのパパであること以外に自分の価値を見いだしておりません。娘のために生き、娘のために動きます。その溺愛はキモいと思うよりやはり心を動かされるばかりの強さを伴っています。

2008年の映画ですが、時代に合わせた古い作りをしています。
ほんとにもう最近は「古く見える作り」がみんな上手すぎて、この映画なんかもうっかりすると本当に古い映画みたいですよ。デザインだけでなく、編集や演出もです。
未来人がこの映画を発掘して見たらく1940〜60年代の映画と思い込むでしょう。そんでもって未来人のマニアの一人が現れて、アパート爆撃シーンを念入りに調べた結果「この爆撃シーンは21世紀に作られたと思われる。21世紀らしい構図と演出である」と気づきます。「そうなのか」と他の研究者も念入りに調べた結果、それとなく使われているCGにも気づきはじめ、そうして発掘から何年も経ってやっと21世紀の映画であると判明するんですねえ。
・・・何を馬鹿な妄想を書いているのでしょうか。

気を取り直して「ボローニャの夕暮れ」ですが、私はほのぼのドラマかと思って見始めたので意外な展開に次ぐ展開に「あわわわ」と思いながらとても楽しめました。
まるで手塚治虫の漫画のように、人と社会の移ろいを淡々とクールに描きます。いくつかのそれとないシーンで胸を打たれたりします。

間に戦争が挟まるというのも、この手の映画の定番かもしれませんが、それでもやはり戦争を挟むというのは大きな意義があります。
イタリア人は戦争をどう総括してきたのでしょう。ドイツやイタリアの大戦の総括は映画の世界でも数多く作られていたりテーマの一つになっていたりします。
この作品でも本家本元ファシスト党のファシズムというものがほんの少しだけ描かれます。ほんの少しですよ。庶民の目線で。
しかしファシズムの危機を端的に表現します。戦後の反ファシズムのファシズムをも同じようにわずかに描きます。この奥ゆかしさの中の危機意識が、戦争を総括してきた国の大人の特徴です。
戦争の総括を一切行わず、未だ戦後が終わっていないままに国ごと終わろうとしているどこぞの間抜けな我が国とは全然違います。

社会の移ろいの中でジョヴァンナのパパは社会のことなど全く関知せず娘のためだけに飄々と生き抜きます。このとぼけた男はいったい強いのか弱いのか賢いのかアホなのか、そんなことはこの映画の前ではどうでもよいことなのです。
これほどの愛情を注がれたらだれだって愛情深い人間になります。我が子を優しい人間に育てようと思ったら何も考えずに満身の愛情を降り注いでやれば良いのだということがわかります。

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