マーシュランド

La Isla Mínima
1980年、アンダルシア地方のどこか田舎の湿地帯(マーシュランド)、ここで少女二人の失踪事件が起こり都会から左遷されてきた二人の刑事が捜査します。根強く残る独裁政権時代の傷跡と置き去りにされた街。
マーシュランド

オープニング、上空から湿地帯を捕らえた映像が映し出されます。美しく、そしてちょっと怖い感じです。じわじわじわーっと湿地帯を見せて不穏な空気で満たしますよ。そうです。「マーシュランド」はまじめな映画です。じめじめした作風、なんて言うと敬遠したくなる人もいますか?じめじめじっとり系です。スペイン映画だからっていつもふざけているわけではありません。

祭りの夜に少女二人が失踪して刑事二人が捜査に当たります。「マーシュランド」はぶっきらぼうな台詞と展開で序盤からしばらくちょっと難易度高めの演出になっています。説明描写を極力避け簡単に筋道を示しません。観てるこちらもぐーっとこう前のめりで食らいつきます。話の骨子がなかなか見えてこないので集中するんですよ。これいい感じです。主人公の刑事二人にしたって「マドリードから左遷されてきた」「若い方のペドロは来たばっかり」程度のことはわかりますがそれ以上の説明はほとんどありません。失踪した少女の親に関する描写も丁寧に説明せず状況から判断するように仕向けます。まだ基本的事柄を飲み込めていない段階で唐突に別の事件の展開を持ってきたりもします。注意深く観ていないと「今どうなってんのん?」とぽかーんとするかもしれません。

と書くと誤解を招きそうですが、つまりミステリー全体をぼんやり周囲から攻めていくような演出ってわけでありまして、難解映画ってわけじゃありませんよ。細かいところはわからなくても大体つかめます。大体つかめればOKです。そして、大体つかんでるからOKと思って楽しんでいると、やがてがっつーんとやられます。

最初見終わったときはですね、見ている間と同じような「大体つかんだし、大体わかった、おもしろかったね、普通だけど」なんてうっかり思ってしまったんですね。でもね、ちょっと気になることがあって、そのことについて考えているうちにですね、背筋が凍り出してですね、この映画がわりとずっしり後味残す良い映画だということにじわりじわりと気づきました。気づくの遅いですか。

失踪した少女ふたりは比較的序盤で見つかります。拷問されレイプされ殺されていました。少女たちの人となりは学校の友人たちの証言なんかで大体おぼろげには見えてますが、そういうのもちょっとした罠でミスリードを誘います。少女の親の態度もそうですね。

「マーシュランド」という映画は、観る者への挑戦というか、罠とミスリードが張り巡らされています。実際の事件とその顛末は比較的単純なミステリーです。ですが、このミステリー全体を包む映画の正体というものがあってですね、そっちはおぼろげにしか表現せず常に他のものへ気を取らせるような構成となってるんですね。これは上手いですね。

まずわかりやすいのは湿地帯の街に充満する悪意です。しかし、ただの田舎の悪意ではありません。1980年と明確にしている通り、73年に崩壊した独裁政権時代の傷であることは誰の目にも明らかです。

マドリードのような都会なら独裁崩壊後の民主政治が素早く浸透しているかもしれません。実際、若い刑事ペドロは民主的な時代にしっかり乗っかった都会人のキャラクターです。

しかし湿地帯の田舎町はどうでしょう。民主主義?なんじゃそりゃ。とばかりに独裁時代の名残であるえらそうな憲兵や麻薬密売のギャング、汚職、貧困や性差別が普通に残っています。性差別については独裁との絡みでどこかにも書きましたが、独裁者や独裁者に媚びへつらう腐った魂の権威主義どものドメスティックな部分の道徳心というものがあります。その腐った道徳や正義の筆頭にあるのが男根主義的女性差別であり、女は家庭に入って家を守り男の言うことを素直に聞いとけとそういうことなんですが、これを法制化したりする野蛮人どもですね、そういうのがあります。少女に対するレイプと拷問という恐ろしい事件にまずそれが内包されています。そして少女の両親の描写に現れていますし、捜査の節々で表現されます。

という、そういう部分がまず強調されますが、

とここでふと気を取り直し別の話に移ります。話の続きはまた今度。

さて独裁政権が崩壊し民主政治の時代になりましたが一瞬にして世界が変わるわけではありません。田舎の湿地帯ではまだ時代の残りカスが充満しており、歴史の狭間にあります。きっとこの時期、スペインは大きな変化の中にあったことでしょう。都会と田舎の差も大きかったでしょう。
都会から来たペドロが始終不信感を募らせた顔つきをしていたのもうなずけます。
「マーシュランド」が描くのは、ひとつにはこの時代の狭間感であると思います。いずれマーシュランドの舞台となった小さな街は時代の波に乗り、時代の狭間から普通の時間へと進むことになります。都会から来たペドロが遭遇するのはかつてあった過去の街、かつてあったが今は失った田舎町の姿にほかなりません。これをノスタルジーと言うには抵抗もありますが、ある種のノスタルジーに包まれているのは確かなような気もします。
そう思うと「マーシュランド」は「殺人の追憶」と非常に似たテーマを描いた映画だと思いつきますね。私はとても似ている、むしろ同じものを描いているのではとさえ思っています。この少々歪んだノスタルジーは高度成長時代の日本とも重ねることが出来ます。だからすごく伝わるのだと思います。

次の話題は唐突に公式サイトが嘘書いているという話です。「マーシュランド」のイントロダクションを見てみますと、間違いにふたつ気づきます。

ひとつは「ほどなく二人は、過去にも同様の少女失踪事件が起こっていることを突き止める」ですが、これ少し嘘です。突き止めたりしません。向こうから勝手にやってきて知らせてくるんです。「突き止める」というわけじゃないという、ま、これは小さな嘘ですからこれくらいは許容範囲です。

もうひとつはこれです。「そんな中、また一人少女が姿を消す。救出までのタイムリミットはわずか」これは酷い嘘です。なぜこんな嘘書いたんでしょう。少女が姿を消す状況は描かないし救出までのタイムリミットなんてありません。これ別の映画の話じゃないんですか?解釈というか釈明はあるかもしれませんが、いずれにせよ言っちゃいけない部分であります。これはいけませんね。ということでこの話おしまい。

次は俳優の話です。ペドロを演じたラウール・アレバロは近年MovieBooでも最注目俳優の一人です。「マルティナの住む街」のイワシです。ついにイワシがシリアスな役をやりました。これがなんと言っても驚きです。そして、ちゃんとやりました(当たり前)
特にラストで見せるあの顔。やりましたね。イワシ。あの顔、すごかったですよ。ここは大まじめに褒めちぎります。あの顔のせいでラストに大きな余韻を残せました。イワシはもう大スターです。

いろんな映画に出まくって全く異なる役を軽々こなしすでに名優の域に居るアントニオ・デ・ラ・トレがやっぱり出ています。父親役ですね。いろんな役をこなすデ・ニーロ系役者ですが、目つきと鼻はかくせません。

次の話題はカーチェイスめちゃよかったです。
カーチェイスと言って良いのかどうなのか、夜の湿地帯を走ります。もう真っ暗闇で湿地帯で側は川で砂煙で何も見えないカーチェイス。これこわかったー。

次の話題は脇役いい感じです。
刑事二人だけで捜査しているわけではなく、脇の人々も捜査しています。協力してくれる人もいます。よくよく見ていると、じつは刑事二人は大したことをしておらず、ほとんどの捜査は脇役の人たちの手柄だとわかります。脇のみんな、ありがとうっ。

さて次の話題はさきほど途中でやめた話の続きです。ミスリードという点と、独裁政権時代の傷跡という文脈でのお話でした。途中でやめたのはネタバレに直結することに気づいたからです。ですから、続きはページを分けて書くことにします。
続きのページはこの映画を見終わった人だけお願いします。

このエントリーをはてなブックマークに追加

[広告]

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です