ウインド・リバー

Wind River
日本では2018の夏ごろに公開してましたっけ。「ウインド・リバー」は「ボーダーライン」の脚本を書いたテイラー・シェリダン監督・脚本によるネイティブアメリカン保留地での殺人に関する物語です。
ウインド・リバー

少女が殺された事件についてのお話で、配給が用意した宣伝では「ハート・ロッカー、アベンジャーズの」ジェレミー・レナーと「アベンジャーズの」エリザベス・オルセンが、どっちも拳銃を構えているショットを強調していました。予告編の編集もアクションを強調していて、うっかり猟奇殺人鬼から平和を守る雪山拳銃武力アクション映画みたいに見えなくもないです。

でもちょっと違いますね。アクションシーンはありますし、そのシーンをはじめいくつかの暴力シーンのとんでもなさったら異常事態なほどのパワーですが、それを前面に出すようなジャンル映画とは異なる趣の映画です。

前面に出すのはネイティブアメリカンの問題です。そして武器は出てきますがそこに武器がありそれを使う連中がゴロゴロいるという現実そのものを突きつけたりします。殺人事件の映画ですが殺人はエンタメ要素ではなくて、きつくて辛くて可哀想なとても大きな事件なんです。
アメリカの病理についての映画と言ってもいいでしょう。
根深い差別の構図もあぶり出します。差別っても、もともと住んでた人たちを殺しまくって奪った上に成り立つアメリカという国そのものの残虐アイデンティティに繋がる根っこからの差別ですから問題の度合いが大きすぎます。そして現在に至っても尚、原住民を虐殺して棲みついた白人移民の侵略者どもったらでかい顔をして「移民は出て行け」とか言ってる記憶喪失の悪魔です。

テイラー・シェリダンは近年、一貫してこのような民族に関わるタブーや差別をテーマに脚本を書いておられまして、その本気度はインタビューなどでも確認できます。

「ウインド・リバー」の公開中にじわじわ広がる高評価、噂に違わぬ良い映画でして、見応えあるエンタメドラマの中に鋭いメッセージを込めまくりました。

冒頭に怯えて駆ける少女のシーンがあり、しばらく後に死体で発見されます。

血も涙もない犯罪者予備軍のMovieBoo執筆者は普段ホラー映画も好みますのでそういう目線で見ると普通のシーンです。しかし犯罪予備軍にも人の血が流れております。この映画ではエンタメホラーじゃないということをじわじわと示していきますね。殺人事件はとてもとても大きなことです。人がひとり殺されてるんですよ。人には家族があり、殺された少女は愛情を受けて育てられたかけがえのない命なんです。冒頭で駆ける少女の姿がずっと心に残ってしまい辛くて可哀想でたまらなくなります。という、これね、これ単にリアルな技法による演出でこう感じさせるんじゃないんですよ。特にリアルな演出ではなく、普通にエンタメドラマの技法の中でそのように思わせる演出と脚本です。ここが「ウインド・リバー」の凄いところだと私は感じました。
最初に被害者両親に会うFBIのシーンがありました。映画のすべてをまずここに示していましたね。

殺人が起きました、犯人誰だろう、みたいなサスペンス劇場気分で観ていたとしても、この両親のシーンで突き動かされ、襟を正すでしょう。命を軽んじるタイプの映画ではないと、どんなに鈍感な人にも伝わる仕組みがここにありました。

命を軽んじるタイプの映画でないことを了解した上で、後半の凄いアクションシーンがまったくもの凄い力で押し寄せることになります。差別の極端な発露は暴力です。そして差別をする側というのは得てして想像力のない野蛮人です。野蛮人の暴力ほどおそろしいものはありません。こういうことを表現する演出というか脚本というか両方ですけど、かなりのものだと思います。

というような褒める言葉を連呼して、それを前提にするとラストには少しだけ「ちょっとこれはどうなのかな」と思えなくもないシーンがあったりしました。いえいえ、ぜんぜん悪くないんですよ。肺が冷気で凍る話の決着でもありますし。でもラストはわりと普通のスリラー劇場みたいな感じではありましたね。あれをもってスカッとするというわけでもありませんが、スカッとさせる演出みたいで、そこにはやや違和感というか、ちょっぴりそう感じましたが、観ているときはぜんぜんそんな風に感じなかったのでまあいいか。あるいは、あのラストはもしかして「ドッグヴィル」的ラストであると了解すべきか、さすがにそこまではどうかな・・・

ごちゃごちゃ言ってないで全体の感想としては、とても丁寧な映画でした。思っていたようなクールな映画じゃなくて、どっちかというと心系でしたので、そこが意外でもあり、良かった部分なのでした。

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