主戦場

Shusenjo: The Main Battleground of the Comfort Women Issue
公開年:
2018
製作国:
監督:

「主戦場」は安易に想像していたのと違って知的でロジカルでドラマチックでミステリアスで面白さと知性に満ちた傑作ドキュメンタリー映画でこれは所謂必見系の外してはならない映画の一つ。

主戦場

インタビューを中心に編集された慰安婦問題のドキュメンタリー映画でYouTubeで名の売れた方の初長編映画という、それで出演者の中には醜悪な連中もいてアップで映し出されるしわざわざ劇場のデカいスクリーンで見るのも鬱陶しいんじゃないかと考えていましたが実際観てみるとすべて杞憂とわかり「これは傑作」と唸りまして、別に観ても観なくてもどっちでもいいかなと少し考えていたことを猛省する羽目になったのであります。

構成・編集

ベタ褒めする要素はたくさんありますがまず何と言っても映画としての構成と編集の見事さを挙げたいと思います。

インタビューを細切れに構成し謎の提示から細部の検証を経て最後はクライマックスで一気にたたみかけたりします。また、山場直前に新しい登場人物を配置したり、「急」の直後に効果的に「緩」を忍ばせたりしながら観る者を翻弄させつつしっかりと収束させます。インタビュー・ドキュメンタリー映画としての構成は「ハーツ・アンド・マインズ」的にドラマチックかつミステリアスな展開をしますが、監督の意図を最大限に主張するということはなありません。そこは謙虚に徹します。ただし知性ある観客には完璧に監督の意図は伝わります。

マイケル・ムーアのテクニックを相当研究しているようにも見受けられます。随所に伏線を張りまくり後半にさらりと回収したりします。註釈が必要な箇所には映像と共に人物映像を挟み込んだり、ちょっとややこしい物事の解説をアニメを使ってスピーディーかつ簡素に説明し尽くしたりもします。つまり面白さを最大限発揮するという構成です。文明人必見映画という括りでも「シッコ」「キャピタリズム」などマイケル・ムーア作品と同等の価値あります。

ゆきゆきて、神軍」への傾倒も強く感じますよね。ミステリー的な進行もそうですし、最後のほうで衝撃的な言葉を持ってきたりします。表面的なことですが太鼓の音楽の使い方とかね。

そして肝心な点ですが、この映画で何が重要かというと事実と言葉です。最初から最後までロジカルな思考で構成されています。作り手の感情を排したことにより観客の感情を掻き立てる映画に仕上がりました。

編集も大変よろしいです。パッパッパと展開して辛気くささは皆無です。スピードが速すぎてついていけないお年寄りもいるかもしれませんが、何度も観ればいいと思います。スピーディーで緩急取り混ぜた良い編集は観客の集中力の持続を保証します。1秒たりとも退屈な時間が存在しない編集に感嘆です。

修正主義者たち

最初「主戦場」を観る気があまりなかったのは醜悪な連中のアップ映像に耐えられないと思ったからですが、この映画の中で重要な役割を担う登場人物たちです。この連中から多くの言葉を引き出したミキ・デザキ監督の姿勢というか人柄というか冷静さというかそういうものに感心することになります。

「主戦場」が奇跡の映画である理由のひとつとして、ミキ・デザキ監督があまり知られた存在ではなく、修正主義者・全体主義者・封建主義者・ヘイターたちの信頼を得てペラペラ喋らせることに成功したことが挙げられます。

安倍晋三のお気に入りで選挙区で落選したけど比例で当選したヘイターとして有名なある女性議員が登場しますが、自ら墓穴を掘るような迂闊な発言を連発します。この議員は映画の中ではアホ担当の役です。映画内容的にはいなくてもいい存在ですが、アホ担当ということで世間一般のアホや世間一般のライトネトウヨを代弁するという大事な役割があります。杉田水脈はそのような役割で登場します。ただの世間一般ネトウヨ代表と言うだけに留まらず、議員であるからには影響力もあるわけです。その影響力を図らずも行使した件が「主戦場」でも指摘されており、このことこそがこの雑魚議員の出演理由にもなります。

本来無視されるべき人物ですがすでに有名人となった議員です。売名に協力したのはもちろん自称リベラルの左派どもです。SNSでもこの議員の名をわざわざ連日連発して名を売る宣伝に加担しまくっておりましたね。前の選挙では落選しましたが、もし次の選挙に出たらトップ当選することでしょう。当選に必要なのは政策でも人柄でもなく「名が知られているかどうか」だけだからですよ。

総じて歴史修正主義者やヘイターやナショナリストというのは知性において劣等です。簡単に言うとアホです。アホでなければナショナリストになるわけがないからです。しかしたまに賢いナショナリストもいます。櫻井よしこは賢いナショナリストの筆頭かもしれません。ですが賢さ故ほんとうはナショナリストでも何でもなく上手なだけの策士である可能性も捨てきれません。

その櫻井よしこからもミキ・デザキ監督は言葉を引き出すことに成功しています。さらに、ついには狼狽をカメラに収めることができました。これも奇跡の一つであるかもしれません。

櫻井よしこはある質問で狼狽しますが、その瞬間の映像はとてつもなく見応えあります。それまで彼女はインタビューアーをアホと思い込んでいた節がありますが、この一瞬でインタビューアーの知能と知識を察知します。さすが切れ者、賢児(かしこ)と賢児の一騎打ちとなりますね。櫻井よしこは脳味噌フル稼働。言質を取られるわけにはいかない、上手く躱さなければならない、そのための言葉はどれか、賢い櫻井よしこは最適な逃げの言葉を発し、インタビューアーは軽々しさを装って受け止めます。文字での書き起こしであればいいのですが、さすがの櫻井よしこも目が泳ぎ焦りが滲み出ました。手に汗握る最高のシーンのひとつでしたね。

知性派

さて知性的な人たちも出演します。

知性ある人間の代表は歴史学者吉見義明です。知識を元に論考を組み立てることのみを行うというまるっきりの学者です。ロジカルが服着てるような存在で淡々と事実から導かれることのみを示します。映画の中でも重要な指摘が数多くありました。

アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館の渡辺美奈という方も冷静で言葉を選ぶ人でした。慎重さが感じられまして、頭の良さというか知性の高さが伺えます。

後半に登場する元日本軍兵士松本栄好という人が映画的な盛り上げに重要な役割を果たします。戦後70年以上、生きた証人がどんどん減っていく中で現役だった人間の言葉は貴重かつ重要です。この人の言葉がまた効果抜群でして、普段講演とかしておられるんですか?簡潔に述べられます。衝撃もあり、映像は冷静ですが観ているこちらは取り乱します。

意外な登場人物

隠し球の登場人物、公式サイトの出演者紹介の欄には載っていないですね。これはネタバレ禁止?と思ったらコメント欄で町田智浩氏がバラしてやんの(笑)

ということで元修正主義者という人物が登場するのですがこれがまあ映画的にも内容的にも重要すぎるキャラクターで、この人の配置が素晴らしいんです。ミステリーでいうとクライマックス前に突然出てくる新たな人物で意外な新展開、みたいな役割ですよ。意味的にも元修正主義者という、修正主義者界の裏切り者、昔アホでしたが今は少し賢児になりましたみたいな立ち位置、美味しすぎるところを担います。

さらにまだありまして、単なる元修正主義者いまはいい人みたいな単純な立ち位置ではなく、それでもまだ認識不足の部分を持っています。この人物のわずかな認識不足の部分に映画は焦点を当て、一気にそっちの説明シーンへ移ります。複数出現する基本知識の再認識を促す大事なシーケンスのひとつで、盛り上がりにおいても重要な構成を伴いました。

従軍慰安婦 => 人権・発展・矮小

今頃言うのも何ですが「主戦場」は従軍慰安婦をテーマにした映画です。

不毛な議論ではしばしば何についての議論なのかが食い違ったままということがありますが、従軍慰安婦の何についての議論なのかということを少しだけ掘り下げると、修正主義者たちと知性派の論点の違いも明確になったりします。

「主戦場」ではレイヤーが僅かに異なる二つの議論の軸があります。

強制を伴う従軍慰安婦の実態についてがひとつです。修正主義者たちは主にこれについて語ります。修正を必要としますからお門違いな指摘をして税にいるわけですね。強制じゃなかったとか当時の法律では問題なかったとか他国もやってるとか捏造だとかそういうことです。そういう細かな点について「主戦場」ではロジカルに事実を提示していきます。この映画の骨子の一つ、痛快な部分です。

もう一つのレイヤーは従軍慰安婦の問題が差別をベースにしていること、つまりこれは人権についての問題なのだということをあぶり出す立脚点です。このレイヤーに修正主義者たちは立ち入ることができません。大抵の歴史修正主義者は差別主義者であるし、白人奴隷になることを目指す君主制大好き権威主義人間であるし、そもそも一般の人間に人権を認めないのが思想のベースであるからです。近代思想の要である人には人権があるという前提がこの連中にはなく、議論の余地はないのです。

ところが修正主義者たちではない側にとっては重要です。なぜなら人権がなければそれを蹂躙することに問題がなくなるからです。というかそれ以前に現代を生きる文明人として基本的人権は信じる信じない支持するしないのレベルにあるものではありません。これを前提としない議論は文明人の対話として成り立つものではありません。このレイヤーでは修正主義者とそうでない者は議論を成り立たせること自体が難しいということがわかります。そして「主戦場」に影のテーマがあるとすればまさにこのことです。

第一のレイヤーにおける論破劇は痛快です。例えば「性奴隷」という言葉を「いやあれは奴隷じゃない、だって鎖に繋がれていないし、自由に行動できる日も与えられてるし」というトンドモを「いえいえ奴隷というは自由意志で行動できないことですよ、制限つきの自由は自由ではありませんよ」と丁寧に説明していきます。こうした第一のレイヤーにおける痛快論破劇の中に、第二のレイヤーである人権や立憲主義の存在を密かに浮かび上がらせます。「何がベースになっているのか」という文明人の存在そのものを再確認できる仕組みです。

元日本軍兵士が言います。「今の人は信じられないかもしれないけど、昔は女性に人格があると認められなかったんですよ」人には皆人格があり一人一人が個として唯一の存在であり他者や国家がそれをコントロールすることは許されないというこの考え方のベースを根っこから否定するのが差別主義者であり歴史修正主義者です。トンデモ修正主義を痛快に論破していく面白映画「主戦場」の表面をぺろりとめくってもうちょっと中身を覗き込めば、全編に人権の問題に対する一貫した姿勢を見つけることは容易です。

従軍慰安婦の細かな問題をひとつひとつ簡潔に解きほぐしていくというだけでも相当な力量のドキュメンタリーですが、実は従軍慰安婦の問題をきっかけにより大きなことを俯瞰して描いていることが見て取れる仕組みです。「主戦場」を見終えた観客は従軍慰安婦についての細かな言葉尻を解決するだけの映画ではなく人権について、もっと言えば現代社会の根っこに潜む大きな問題、近代思想を否定し巧妙に君主制を敷く勢力の影響力の大きさと絶望的な現実について突きつけられたことに気づくでしょう。

複数のクライマックスが用意されたこの映画の中で日本会議の加瀬秀明シークエンスは身の毛もよだつ恐怖のシーンとなります。この自称歴史学者の発言はこれまで映画内で人々が語ってきた全てを無に帰す強力な馬鹿さで全員の度肝を抜きます。水脈など足下にも及ばぬその馬鹿発言を薄ら笑いと共に繰り出す怪物加瀬秀明に潜む悪意と憎悪に、過敏な人は嘔吐するでしょう。

映画では慰安婦問題について調べ上げインタビューしさらに人権について慎重に、ロジカルに、丁寧に描いてきました。修正主義者は剥き出しの差別意識を隠すことなくこの問題を矮小化させますが、少なくともインタビューアーに対して目に余る非礼な態度はありませんでした。見ていてめちゃムカつく嫌なやつでさえ質問にきちんと答えていましたし、少なくとも最低限の紳士的態度が貫かれていました。しかし日本会議の加瀬秀明だけは別次元にいました。全ての質問を茶化し、全ての問題を矮小化し、インタビューアーを犬か何かとして扱い、小馬鹿にしつつ反抗を許さぬ高圧的目線を送り続けます。平気で頭の悪そうな言葉を発し、それを見た一般下級臣民が「こいつ馬鹿じゃね」とかどう思おうがお構いなしで、犬に感情あんの?みたいなことを思ってそうなこの男の恐ろしさは絶望するに相応しい力を持っていました。

「主戦場」のヒットによって、ちょっとミキ・デザキ監督の身の安全を心配してしまうくらいの恐怖を感じます。

恐怖

映画の後半では日本の支配者について言及しています。戦犯の岸信介をアメリカが都合よく刑務所から引っ張ってきて日本破壊の急先鋒に仕立て上げる件でのへらへら笑う岸の映像は壮絶インパクトありました。随所に登場する岸の孫である安倍晋三の低脳答弁も、加瀬秀明や岸信介のへらへら笑いと共通点があります。対話を拒否し周りにいる人間を犬と思っている絶対君主の態度です。日本では特にこの君主を犬側が崇拝するというちょっと考えられない現象がすでに起きています。問題はかなり深刻で、もともと天然全体主義者が多数を占める日本ではすでに手遅れなところにあると感じています。

結局元を辿れば差別主義者や修正主義者の存在そのものがその場しのぎのアメリカの発言や態度によって作られたものということもあぶり出されます。冷戦を煽ったやつが冷戦の妄想に怯える話を思い出します。中国への差別意識を政治利用した政治家が中国に攻められる妄想に自ら取り憑かれてしまった話を思い出します。

昔コリン・ウィルソンが歴史上の大きなできことを特定個人の犯罪という観点で俯瞰する本を出していました。国家に意思などありませんが俯瞰すると意思があるかのような振る舞いが見て取れます。それは国民の総意でしょうか。そんなわけはなく、それは誰かの意思です。戦時中、日本のマスコミはジャーナリズムを放棄し政府広報に堕ちて日本破壊に手を貸しました。現在まったく同じ事を懲りずにやっています。法人に意思などありませんが意思があるかのような振る舞いで安倍晋三の腰巾着に成り下がり日本破壊に手を染めていますがこれは誰の意思でしょうか。

「主戦場」では慰安婦像の影響力の話が後半にちょろっとに出てきます。修正主義者やナショナリストは慰安婦像が与える影響についてお門違いな心配をしています。日本に対するネガティブな感情を掻き立てるとか何とか、そういうことですが実際は人権に対するポジティブな像です。これがネガティブに見えるということは己のネガティブさに影響を受けている証拠で、つまり例えば「女性が走ると尻が揺れて嫌らしいから女性は走るの禁止」みたいな法律を作る変態(ペルセポリス参照)に通じます。

それはともかく、慰安婦像が与える外部への影響を心配する愛国者たちですが、しかし現実には慰安婦像の影響などナショナリストの絶大な影響力に比べたら誤差にすぎません。

一般的に、全体主義者たちにとっての「嘆かわしさの大きさ」の概念には一つの特徴があります。全体主義者にとって都合の悪いものごとはどんなに小さくても大きく評価して徹底的に攻撃するという特徴です。これは政治的なものごとに限らず小さな些細なことでも同様で、マイノリティに対して「〜が流行っている、影響力を持っている」という評価を与えて「嘆かわしい」と攻撃します。

これを私は昔カッコ悪症候群と名付けました(阿呆阿呆作戦、ざまあみろ症候群とカッコ悪症候群

という、こんなことまでこの映画では言及しています。

感想

「主戦場」は大変に内容の濃い優れたドキュメンタリー映画だと思いました。作り手はとても冷静でロジカル、単なる左派の感情的同調映画などではまったくありません。教育的映画でもありませんし、そもそもめちゃくちゃ面白い映画です。従軍慰安婦の問題に少しでも興味があれば、というかたとえ興味なくてもこれは見ておかねばならない映画のひとつ、はっきりいうと必見です。これを踏まえていない議論は今後すべて却下してもいいです。

 

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