マチュカ 〜僕らと革命〜

Machuca
マチュカ 〜僕らと革命〜

1973年のチリ。富裕層地区のぼんぼんゴンサロと貧民街の子ペドロ・マチュカの物語。

マチュカ 〜僕らと革命〜

金持ちの子ゴンサロが通う学校にある日貧民街の子供たちがやってくる。苛めをかばったことからそのうちの一人ペドロ・マチュカとお友達に。
金持ちの子と貧民街の子の友情と青春。彼らの目に映る大人の世界、貧富の壁、チリの政治。

子供たちの演技が冴え渡ります。ぼんぼん顔のゴンサロと遠くを見透かすような貧民マチュカ、この二人の表情だけで胸騒ぎが起こり涙が流れます。

校長である神父にこの映画は捧げられています。実在の人物なのでしょう。この神父も味わい深いです。徒競走で子供相手にズルをするシーンのお茶目さで一気に好感度が上がりました。

さてこの作品を鑑賞するにあたってチリの政治を知っておく必要があるでしょうか。もちろんありますが、知らなくても映画の中で子供たちの目線で政治がしっかりと描かれます。
しかし知らぬ存ぜぬでは地球上で生きていく上で多少の問題もあります。予習の必要はありませんが、もし舞台になった年代のことを知らないのなら復習はしておいて損はないでしょう。

チリの歴史は激動すぎて簡単には語れませんが、とりあえず1970年の選挙によって、アジェンデ政権が発足します。民主的に誕生した唯一の社会主義政権です。
親米派の金持ちたちが富と権力を独占していた中、社会的平等を謳ったアジェンデの勝利は民主革命的な出来事でした。

アジェンデ政権下では改革のひとつとして貧富の差の解消も挙げられ、その一環として貧乏人にも学校教育を受けさせるべく、金持ちの子が通う学校に学費免除でスラムの子を入学させます。こうしてこの映画のゴンサロとマチュカは出会うことになるんですね。

金持ちの親たちが神父である校長を前に議論するシーンがあります。
「貧乏なのは努力が足りないからだ」「なんで我々が貧乏人のための学費まで面倒を見る必要があるのだ」と、現在日本でも聞き覚えのある厭らしい言葉がたくさん聞こえてきます。
影の薄いゴンサロの父親はリベラルな意見の持ち主のようですね。

さてアジェンデ政権は安泰ではありません。民主的になって国民が広く幸せになれば困る人たちもたくさんいます。富裕層や軍部です。
とりわけ他国に干渉するのが仕事かのような悪の枢軸国アメリカが黙ってはおりません。
アメリカは軍人ピノチェトを援助し反政府活動、暗殺事件などを起こし、社会主義国の崩壊を目論みます。
ピノチェトは1973年9月11日、CIAの全面的な支援の元、首都サンティアゴでクーデターを起こし首都を制圧、政権を奪います。アジェンデは銃殺され建物ごと爆破されました。
軍事政権による独裁政治が始まり、民主的市民、労働組合指導者、芸術家、学生、社会主義の恩恵を受けていた貧民層の多くが監禁、拷問、殺害、虐殺されました。独裁政権下ではどの国も虐殺や拷問を行いますが、なぜこれほどの狂気に走れるのか、常人の理解を超えます。しかし常人の振りした民衆は実に容易く独裁政権の洗脳に騙されるのもまた事実。無自覚なのか阿呆なのか、民衆の驚くほどの順応主義、服従主義には恐怖すら感じます。

チリの民主的な社会はわずか3年で 崩壊、「9.11」という言葉は2001年の事件が起こるまではこのクーデターを指す言葉でした。ニューヨークの自称テロが9.11であったことは偶然なんでしょうかね。

このクーデター、当時の日本では自民党、民社党などが反共のかけ声で支持を表明、ピノチェトの取材後「天の声」などと賛美していたようです。

というわけで、本作はアジェンデが行った民主社会的政策によって主人公たちが出会い、クーデターによって引き裂かれる73年9.11の直前から当日までの暮らしを描きます。
貧困の描き方は、チリほど極端でないにしても日本も似たようなもので、親しみを込めてみることも出来るでしょう。

甘酸っぱい青春映画的側面もあったりして、あまり目立たないが最後に「糞軍人」と叫ぶ級友をはじめ、神父である校長、両陣営相手に商売を営む人々、マチュカの強い母親と駄目人間の父親など登場人物たちの味わい深さも一級品、大変よい映画でした。

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