明日へのチケット

Tickets
エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチの巨匠監督三人によるコラボレーション。列車を舞台に三監督による三つの物語が描かれます。三つの物語ですが、全体として一本の長編映画のようにシームレスに結合。しっとりしててコミカルで不思議でちょっとドキドキしてプチ感動あり。
明日へのチケット

列車ドラマです。列車と言えば旅。旅と言えば列車。そこには幾通りものドラマが発生します。オーストリアからイタリア、ローマへの旅です。
三人の巨匠監督が同じ列車内の小さなお話を描きます。完全なオムニバスとちょっと違っていて、一本ずつが自然に繋がっています。聞くところによると、ばらばらに撮ったのでなく、三人の名匠が全体の構成を考えながら協力して作り上げていったのだそうです。

最初の話

多分エルマンノ・オルミ監督。
出先のオーストリアからローマへ帰る大学教授(カルロ・デッレ・ピアーネ)の淡い恋心。チケットを手配してくれた訪問先会社の秘書(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)の笑顔にノックアウトされ、年甲斐もなく妄想に耽ります。
しかしノックアウトされて当然。超素敵なヴァレリア・ブルーニ・テデスキの笑顔はまぶしすぎない太陽です。菩薩のアルカイック・スマイルです。マリア様です。この女優さんの魅力はほんとに筆舌に尽くしがたい。慈悲と包容力に満ちた素晴らしい笑顔を堪能できます。
で、この女性の一瞬の笑顔が教授の脳味噌に焼き付きまして、ひとり列車に揺られながら少年のように心ときめき、あれこれと妄想を張り巡らしているうちにピュアな心と優しい気持ちがふつふつと沸いてきます。

次の話

多分アッバス・キアロスタミ監督。
イタリアの小さな駅で乗り込んでくる中年女性(シルヴァーナ・ドゥ・サンティス)と若い男性(フィロッポ・トロジャーノ)の二人連れの不思議なお話。幻想的でコミカル。どういっていいのか、実に独特の雰囲気を持った一篇です。
中年女性のがつがつした会話劇で一気に引き込まれ、携帯電話の件は驚愕の叫び声すら上がる面白さ、不思議な少女の透明感に「これ現実?」とまで思えてしまう幻惑を感じます。
アッバス・キアロスタミの映画は私未だ知りません。観たいのはあるんですけど。ただいま「ライク・サムワン・イン・ラブ」が上映中ですね。

最後の話

多分ケン・ローチ監督。
スコットランドからやってきた若者三人組のお話。ローマへサッカーの試合を観に行くのです。三人はスーパーの仲良し店員で、少ない給料からチケット代と滞在費を捻出し、わくわくして列車に乗っています。上機嫌なのでベッカムの服を着た移民の子を見つけて「おいベッカム。サンドイッチやるよ」と大盤振る舞い。ついでに移民の家族にも食べ物を振る舞います。気のいい奴らです。
青年ジェムジーを演じているマーティン・コムストンは後の「アリス・クリードの失踪」で強く印象を残した彼ですね。
最後にはプチ感動も待ち受けます。スーパーの店員が世界に目を向け移民に愛を感じます。彼らの優しさは希望の光ですが、やはり優しいのは貧乏人だけなのであるという過酷な事実を前に悲しくもなってきます。

というわけで以上三つのお話ですが、同じ列車内のお話ゆえ、登場人物が時々被ったりしています。特に最初と最後に強調される移民一家は重要です。
「明日へのチケット」で描かれる慈愛は、人間の本来持っている優しさを絶妙に表現していまして、嘘くさい偽善とは全く性質が異なります。
最初のエピソード中、不憫な目に遭う移民の母子を乗客全員が何となく気にしてそわそわしている表現など、たいへんリアルです。何かを思っていても、なかなか行動できるものじゃありません。でも内心気に掛けています。コミカルに演出された奥ゆかしい優しさのリアリズムというものを、観ているこちらが感じ取るのですね。

貧乏人が貧乏人に優しいという夢のような出来事を描く三話目にいたっては、まあいい話でプチ感動なわけですが、見終わって冷静に思い返せば、映画で描かれていたことと真逆の過酷な現実を突きつけていると感じ取れたりもします。
こんないい話はなかなか現実にはないもので、ファンタジーと言えるかもしれません。しかしやはり心情的にはリアルです。実際の行動を取れなくても内心では優しい人がたくさんいます。そういう人がこの映画を観ると嬉しくなったり感動したりするのだと思いますがいかがでしょう。

強力な貧困は想像力を奪い取り犯罪を生みますが、文明国のそこそこの貧乏はちょっと違います。労働者階級の貧困層でも教育をきちんと受けていますから知性と想像力があります。困った人に感情移入できるし、他人を思いやる気持ちがあります。
人によっては不満や絶望に敏感だったりもします。労働者階級が社会に不満があるのは当然ですが、その不満が現実を批判する下地となり、社会問題にも敏感になってきます。
一方、裕福になるにしたがって、困った人に感情移入できなくなり、他人を思いやる気持ちが薄れ、不満や絶望感が薄れてきます。現在を肯定する心理だけが働くのでありまして、裕福なのに現実社会を否定したがる人はほとんどいません。
中途半端に裕福になると馬鹿になるという文明社会ならではの特徴は多くの場合正しく当てはまります。心的防衛が働いて物理的危機を認識できなくなったり、現状を保持するためには他人の命と引き替えでも厭わないという考えに取り憑かれます。これを成長による保守化であると思い込んでいる人もいるようですが、実際には恐怖心による知性の遮断です。

というわけで話がそれてしまう前に切り上げますが、社会に向ける目と己に向かう目とそして優しさを思い出すという、そういう映画「明日へのチケット」でした。巨匠たちの演出は嫌みや馬鹿らしさ、偽善臭さや感動の押し売りがまったくないたいへん上品な仕上がりです。

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