汚れた心

Corações Sujos
汚れた心
公開年:
2011
製作国:
監督:
脚本:
原作:
撮影:
  • ホドリゴ・モンチ
音楽:
  • 松本晃彦
主演:
出演:

第二次大戦終戦直後、ブラジル移民の日本人に起きた血で血を争う事件の映画化。映画では日本人村で徒党を組む狂人ファシストが同胞を狙います。「国賊」の印を付けて殺すのです。

汚れた心

日本が敗戦した直後、遠くブラジルの日本人街では「日本が負けるわけがない。敗戦なんてのは敵国のデマだ」と、敗戦を信じようとしない愛国全開の人々がいて、現実直視の人と二分して大きな抗争事件があったそうです。
事件の詳細は知りませんが、「汚れた心」はその事件をモデルにした映画のようです。

日本の敗戦を信じようとしない連中は徒党を組み暴力に走ります。主人公は一見頭の良さそうなカメラ店を営む男ですが「おれは日本人だからポルトガル語は知っていても話さない」とか、わけのわからない歪んだ民族主義にかぶれた男でもあります。
この男が超愛国側のボスに「裏切り者を殺ってこい」と日本刀を与えられ、同胞を狙いに行くあたりから事件が膨らみ転落していきます。

さていろいろ考える前に「汚れた心」が映画としてどうかという話をしたいとおもいますが、これがまあどろどろのじめじめ、無言の心情描写や思わせぶりな辛気くささに満ちており、かなり湿っぽい作風の映画でした。
じーっと黙ってるシーンの多用や、おもくそ傷ついてるのに無表情なシーンや、大したことを考えてないのに意味深なそぶりのシーンや、なんだかすごく表面的なウエッティシーンに満ちています。

ウエッティで辛気くさいということは個人的に好みでないというだけの話ですが、でもウエッティな作風がこの作品の表現に不可欠な技法であると到底思えないんですよ。

実際の事件に詳しくありませんが、エンドクレジットに文字情報が出てきて実際の事件を紹介します。
「汚れた心」は小さな村の殺し合いの映画にすぎませんが、エンドクレジットの説明によると実際は数万人規模の諍いであったことが示されます。かなり大規模な抗争事件だったわけですね。移民の問題が大きく横たわる社会的事件であるとも思えます。
でも映画を観ている限り、ただの辺境の村の気違い右翼の殺人事件でした。それはそれでもちろんいいんです。でもその映画の終わりに、映画で描いていない実際の事件を説明するというのも変な態度だと思いました。
その事件の一部を切り取ってお届けしました、って意味なのでしょうか。

おかしな心理描写みたいなのじゃなく、淡々と行為のみを描くようなドライな技法だったら強烈パンチになったかもしれません。なぜなら、現代にそのまま通じるテーマでもあるからです。
現在の日本なんか全く戦時中と同じかそれ以下の状態ですからね。最近のおかしな政権発足や大手報道による偽報道と大本営、人類史上最悪の原発連続爆発事故を起こしながら似非民族主義のファシズムにかぶれて神風根性主義に傾倒して自滅していく様子は正常な目で見たら国民全員が狂っているというようにしか見えず、そうした特殊環境の異常な空気に感化されて狂気に陥る個人を映画で表現したとしたら、普遍的かつ現代的な力を持ち得たであろうと、そんなふうに思いますが勝手な思いなのでどうでもよろしいです。

さてなんだか貶してしまいましたが良いところもあります。
日本人移民の村の閉鎖感や、狭い環境の中で狂気の思考に感化されていく弱い個々のことは描けていると思います。
それから、もっと良いところは、人殺しに行くところがかなり怖く演出されていて、ホラー映画として見るとなかなかのものだということです。
「国賊」とでっかく落書きされた者が殺人鬼に狙われます。こわいですよーこれは。じっとりした演出もホラー効果に関しては功を奏しています。
この部分に関してはとても見応えありました。

きっと多分「ノーカントリー」のような効果を目指していたんではないでしょうか。わけのわからない考えを持つ男が殺しに来る恐怖です。
それにしたって、ウエッティじゃなくドライに描いていた方がもっと怖がらせることが出来たのにな、なんて思ってしまいます。なにしろちょっといろいろ辛気くさいと感じたもので。

もうちょっと細かなところで褒めるところは「ポチの告白」の菅田俊、そして余貴美子の演技です。常盤貴子の唖のような演出というかシナリオは意味わかりませんでしたので、常盤貴子の役を余貴美子にやってほしかったなーなんてこれまた制作者に失礼な感想をなげやりに放って「汚れた心」の適当な感想文を終わっときます。

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