僕の村は戦場だった

Иваново детство
アンドレイ・タルコフスキーの長編第一作の1962年「ぼくの村は戦場だった」は戦場における12歳の少年イワンとその周辺の軍人たちのお話。
僕の村は戦場だった

アンドレイ・タルコフスキーの長編第一作ですか。そうだったんですね。「ローラーとバイオリン」のほうが先なんですが、少し短い作品だから長編扱いじゃなかったんですね。

1962年のこの映画、第二次大戦の独ソ戦が舞台です。独ソ戦をソ連の側から描いた映画でもあります。そして12歳のイワン少年の物語でもあり、戦争とちびっ子という映画テーマにおける無情さを描いた礎的な映画かもしれません。

12歳の少年イワンの、楽しかった思い出シーンときつい現実の戦場シーンが対比するように描かれます。純粋少年イワンはパルチザンに参加しソ連軍の偵察任務に燃える戦闘的な男でもあります。そのアンバランスさをアンバランスなまま表現します。可哀想なちびっ子、というような安直な目線でないのが鋭いところです。
可哀想なちびっ子ではないからこその無残さという、その描き方なんですけど、80年代の「悪童日記」なんかより遥か以前にもうタルコフスキーがやっているという、古い映画を見るとほんとに驚かされることが多いのです。

古い映画について、若い子やなんかがときどき「古い映画なのにすごい!」っていう褒め方をするんですが、実際のところ「なのに」じゃなくてですね、ほんとすごいわけですよね。映画の面白さや斬新さってのは時代関係ないどころか、昔のほうが、と言っていいくらいのものもよくあります。

という当たり前の話は置いといて「僕の村は戦場だった」の風景描写についてですが、まるで風景描写が生きているみたいに描きます。初長編でもうすでに映像魔術師の傾向が現れてますね。多種多様なる水のシーンはもちろん、廃墟や、それから本作では白樺が大暴れしますね。
タルコフスキーのこうした描写の力はやっぱり凄くてですね、よく「映像詩人」なんて言われています。そしてすでに書いた同じこと書きますけど私は詩というものが苦手なせいもあってどうしても「物語る映像」というふうに捉えてしまいます。同じことを何度も言わなくていいですか。すいません。

もちろん風景描写だけじゃなく、あらゆるシーンに映像の力が宿っています。少年の記憶の中の世界なんか、ほんとに幻想的で美しいし、本編中ずっと迫り来る映像を体験できます。
わりと最近、タルコフスキー作品のリマスターが次々と発売されましたね。どれも画質綺麗で見る価値あります。綺麗な映像で改めて見ると、静かなシーンにのめり込みます。

説明過剰に陥ることのない登場人物たちの会話もいいです。短いセリフの配置に洗練という言葉が思い浮かびます。物語を紡ぐ断片の扱いもそうですね。連続していながら断片でもある物語の構築のなんと上品なこと。

僕の村は戦場だった scene 1
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世界はまたしても戦争への気運が高まっており、各国首脳はテロをネタに武器弾薬使いまくって殺人公共事業による経済闊歩をしております。我が国は戦争放棄していた頃はよかったんですが現在の首脳はテロ誘致に必死で早く戦争したくてたまらないという気持ちを隠し立てすることもなく破廉恥な方向に不可逆的に猪突猛進しております。
イワン少年のような勇ましく惨たらしい人間がまたもや大量発生するのは確実で、文化人たちが何十年も知性を説き反戦を掲げ続けてきましたが、僅かな悪意と武器だけで簡単に水泡に帰します。各国権威が遊んでいるシミュレーションゲームの1コマ以下であるところの安い命のみんなは基本的には自由が怖くて、隷属と排他に同調し始めだしたら止まりません。

という厄介な話はおいといて「僕の村は戦場だった」のオアシス、一輪の花、マーシャについて一言だけ触れおきたいと思います。

Valentina Malyavina
www.laregenta.org/actividades/cine-en-dvd/ciclo-andrei-tarkovsky-la-infancia-de-adan

マーシャかわいいっ。

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