家路

Je rentre à la maison
マノエル・ド・オリヴェイラ監督2001年の「家路」という宇宙的見地の偏執狂的批判的老人映画の極北。
家路

2015年に他界した世界最高齢映画監督だったマノエル・ド・オリヴェイラ監督作品が追悼を込めてなのかリマスター発売が相次いでおります。リマスター群を仕入れるついでに「家路」も観てみました。

「家路」はベテラン俳優の話です。冒頭で妻と娘夫婦を失い孫とふたり生き残った老齢の俳優をミシェル・ピコリが演じます。この俳優の暮らしっぷりや日常のルーティン、仕事のオファーへの対応などを描きまして、挙げ句の果てに息を呑む衝撃ラストを迎えますね。2001年のオリヴェイラ監督、乗りに乗っております。

冒頭

冒頭は長い演劇シーンです。これからどういうお話が紡がれるのかまるでわからないのに、緊張感漂う舞台のシーンが続く挑戦的な冒頭です。私は演劇のことはまるで何も知らない人間ですので、どういう作品が上演されていたのかわかりません。何だか不条理感漂う変わったお芝居です。これはウーヴェーヌ・イヨネスコの「瀕死の王」という作品だそうです。それを聞いたところで知らないので何も言えませんが、己の死期を受け入れずに屁理屈や文句ばっかり言ってる死にそうで死なない瀕死の王のお芝居でした。

あとで振り返ると「瀕死の王」は「家路」を象徴するお芝居ですが観ているときはそんなことわかりません。この芝居にはカトリーヌ・ドヌーヴやリカルト・トレパも出演していますがお芝居のシーンだけです。で、なんせこの芝居シーンが妙に面白くて、そして背後には不穏な空気も流れ、しかも尺が長いという摩訶不思議な演出で冒頭から観る者を異空間に連れて行ってくれます。やがて芝居が終わり、主演ベテラン俳優の妻と娘夫婦が事故死したことを告げられるというショッキングな序盤です。

中盤

孫と老人が残され、映画は次の展開へ進みますが、ここに家族を失った哀しみや辛さはほとんど表現されません。老人は老人として達観しているのか川の流れのように現実を受け入れているのか、感情的なものは何一つ描きませんし感じさせもしません。この後は老人俳優の日常がいろいろ描かれます。

その日常の細やかなシーン一個ずつの何と見ていて面白いことか。お気に入りの靴を買ったり喫茶店で一休みしたり会話したりということを描きます。エピソードのどれもが大変面白いです。派手さはありませんよ。でも面白いんです。いつものように会話シーンの醍醐味も味わえます。

彼は一人の老人でありベテラン俳優であり街の部品です。街の部品すなわち是記号でありまして、社会は直接描かないけれどそこには都市や社会というものが常に介在しています。

軽薄なテレビの仕事を断り、「ユリシーズ」を撮ったという名監督の仕事を少々気に入らないながらも引き受けるベテラン舞台俳優の撮影現場へと話は進みますね。

終盤

序盤は舞台、中盤は街と暮らし、終盤は映画撮影が映画の舞台となります。映画撮影シーンは息を呑みます。すんごい撮影シーンを見ながらこちらはカチコチに固まります。

最後まで見終わって「うわっ」と声を上げそうになりました。何ですかこの「家路」という映画は。何なのですかこれは。

家路

衝撃にしばし固まった後、念のために映画のタイトルを確認します。「永遠の語らい」の時にですね、原題に気づくのが遅れて衝撃が二倍になった経験をしていますから、ここは慎重に「家路」のオリジナルタイトルを確認するんですよ。そうするとですね、「Je rentre à la maison」と出まして、翻訳すると「私は家に帰ります」と。おお。まさしくこれがタイトルでしたか。

序盤の長い芝居シーンや中盤の細かな暮らしっぷり、仕事の話に撮影現場と、淡々とこんこんと描いてきて挙げ句の果てにこうなると。そういう映画なんですねー。これは面白いというか何というか面白いですよ。

宇宙的見地

そんでもって、オリヴェイラ監督の他の作品と同様、やはり宇宙的見地を感じずにはおれません。高齢だからというより、やはりオリヴェイラ監督ならではの宇宙的見地に基づいた映画です。

つまり誤解と批判を恐れずに言い切ってしまうならばこの「家路」という映画は「宇宙から見たら些細なこと」と「宇宙から見たら狂っていること」をストレートに描いた映画であります。文明社会の絶望を胎内回帰の老人文学として突きつけた偏執狂的批判的コメディなのでありますよ。言い切ってご免。

俳優

言い切ってしまったので俳優行きます。

ミシェル・ピコリは2001年ですからまだまだ老齢というわけでもありませんが、壮絶演技力でまさに老齢の頑固ベテラン俳優に見えますし人間的な面白さもたっぷり表現します。この人の魅力が大きいです。「夜顔」も凄かったです。「家路」ももの凄いものです。

映画監督の役をジョン・マルコヴィッチがやっていまして、この人のこの雰囲気も重要でした。優しくまろやかで尚且つ厳しくて容赦ない撮影現場のシーンは息を呑みます。

演出

演出的な個性も「家路」にはありますね。聞こえない声、靴で表現する会話、見えない演技、いろいろ細かく夢中にさせてくれまして、かなり絶品だと思います。

ということでこないだ見てひっくり返った大問題作「ブロンド少女は過激に美しく」をちょっと飛ばして先に「家路」の感想とご紹介をしてみました。ちょっとネタを割りすぎた気もしますが許してください。

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