シークレット・ヴォイス
「マジカル・ガール」のカルロス・ベルムト監督2018年「シークレット・ヴォイス」は母と娘、唯一無二と模倣、夢と挫折、スペイン歌謡堪能型ずっしり系の物語。
「マジカル・ガール」のカルロス・ベルムト監督2018年「シークレット・ヴォイス」は母と娘、唯一無二と模倣、夢と挫折、スペイン歌謡堪能型ずっしり系の物語。
マチュー・アマルリック監督がシャンソン歌手バルバラについての映画を作ったというので話題だった2017年「バルバラ」が2018年冬から日本でも公開され、これぞザ・フランス!の威力をまき散らしました。
マノエル・ド・オリヴェイラ監督2001年の「家路」という宇宙的見地の偏執狂的批判的老人映画の極北。
ミロス・フォアマン監督の「アマデウス」です。これ観に行きたいなと思って行きそびれてから苦節31年、このたびようやく観ることができました。おめでとう、自分。
「きっとここが帰る場所」のパオロ・ソレンティーノ監督2015年の「グランドフィナーレ」は「若さ」というタイトルの老人映画。笑いと衝撃、言葉と仕事と体と心、この映画に参加した人全員を尊敬できて見る目も変わるかもしれないレベルの名作。
1969年。月面着陸失敗の保険としてスタンリー・キューブリックに偽物を作らせようとイギリスへ交渉に向かうCIA諜報員(ロン・パールマン)が偽プロデューサー(ルパート・グリント)に一杯食わされます。偽の月面着陸をでっち上げる映画人たちのドタバタとラリリ。コメディバイオレンスサイケデリックドラッグヒッピームービー「ムーン・ウォーカーズ」は予想外に面白くてすばらしくてわりと大当たり。
イタリアで起きた英国人留学生殺人事件を映画化しようとする監督がイタリア入りして取材します。どのように映画化しよう。悶々とする映画監督の苦悩を描くマイケル・ウィンターボトム監督「天使が消えた街」は監督の私小説的作品。それと「イタリアは呼んでいる」の続きね。
高校国語教師と生徒のお話です。「まったく近頃の餓鬼は馬鹿ばかりで作文の一つも書けやしない」と嘆いている文学者崩れの教師を呻らせる作文を提出するひとりの生徒。教師は作文に夢中になりのめり込みます。
フランスでかつて有名だったプロデューサーのジョアキム(マチュー・アマルリック)が今ではアメリカでニュー・バーレスクのショーをプロデュースしておりまして、その彼がショーガールたちを引き連れて祖国フランスでのツアーを開始しています。
重罪で服役中の囚人たちが「ジュリアス・シーザー」を演じるという映画です。巨匠タヴィアーニ兄弟がレビッビア刑務所とコラボって製作されたという異色作品。
タンゴのダンス教室に通うJCが胸ときめいた女性アリス。そのアリスの夫フェルナンは親友ドミニクと共に刑務所に入っている囚人で、その刑務所の看守がJC。看守が妻とタンゴを踊ってると聞いて怒り心頭の囚人フェルナンであります。
驚くほど作品数の少ないビクトル・エリセが「エル・スール」の10年後に撮ったのは芸術家アントニオ・ロペス=ガルシアのドキュメンタリー映画。もはやこれはドキュメンタリーという括りや単なる映像詩なんて言葉では到底語りきれない至福の映画体験をもたらします。
東西文化の合流地点イスタンブールにノイバイテンのアレキサンダー・ハッケが赴き、様々な音楽家を訪ねて文化と音楽を探るドキュメンタリー。ファティ・アキン2005年の作品。
ジム・ジャームッシュ2013年新作映画は珍しくも吸血鬼のお話。でも「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」の吸血鬼は音楽家で文学者で哲学者で詩人のボヘミアンたち。文化と社会に言及し、洒落と知性に満ちた理想世界のファンタジーを見せてくれる最高の一本。
カルロス・サウラ監督によるフラメンコの華麗なるステージムービー。フラメンコに酔いしれます。
レオス・カラックス13年ぶりの新作映画「ホーリー・モーターズ」はSFで童話でカッコ良くて泥臭く、パワーみなぎり多層の構造、ぶっ飛んでいて哀しくて、面白おかしい最高峰。
古き良きハリウッドへ捧げたフランスからの映画のラブレター。大ヒットしたサイレント風映画はこちらです。
ブリューゲルの「十字架を担うキリスト」を映画化した作品。なんのこっちゃとお思いでしょうが、絵画作品の映画化というのはこういうことだと妙に納得出来る映像派アート作品です。
青年団と平田オリザ氏を追った想田和弘監督観察映画第三弾「演劇1」と「演劇2」は二本合わせて6時間弱の大作。こちらは「演劇2」平田オリザ氏の動きを徹底的に追います
青年団と平田オリザ氏を追った想田和弘監督観察映画第三弾「演劇1」と「演劇2」は二本合わせて6時間弱の大作。こちらは「演劇1」