猫が行方不明

Chacun cherche son chat
バカンスに出るために近所の老婦人に猫を預かってもらったものの帰ってきたら猫が行方不明。グリグリはどこへ行ったの。さあみんなで探そう。 いろんな人たちが出会ったりしゃべったり、パリの裏通りで猫の大捜索がはじまります。
猫が行方不明

我が家の映画部では、奥様未見シリーズなんて言って時々昔の名作を再見したりしておりますが、時には糞旦那未見シリーズも必要ってんで「猫が行方不明」を観ることになりました。
「オリーブ少女御用達」なんて言って公開当時は小馬鹿にしつつも、どんな映画かなーと気にかけていたのは事実。
セドリック・クラピッシュ監督の「スパニッシュ・アパートメント」を最近観たこともあって、よし「猫が行方不明」観ようじゃないの、本当は見たくて見たくて仕方なかったのよわし隠れオリーブ少女なのよなどと言いながらわくわくして拝見。

いやはや、これ良いじゃないですか。面白いじゃないですか。誰だ誰だ「おしゃれ映画」だの「流行」だの「オリーブ少女」だのと囃し立てたやつは。
まあオリーブ的というのは実際その通りなんですが、ここで(元)オリーブ少女たちの肩を持つために言っときますと、オリーブ少女は単なる上っ面のオシャレちゃんってわけではないですよ。文化方面や無駄方面や小汚い方面やオタク方面や人情方面にも造詣が深く、酸いも甘いも噛み分けた上でのお洒落さんたちなのですよ(太鼓持ち発言)

というわけで「猫が行方不明」ですが、メーキャップアーティストとかゲイの美術家とかミュージシャンとかブティック経営者とかモデルとか出てきてですね、メチャ洒落たカッコいい建物に住んでたりして、そういう設定だけ聞くと「なんだやっぱり当時のトレンディお洒落さん映画じゃん」と思われそうで、それはまあ正解です。でもそんな浮ついた設定をかき消すほどの都市感裏通り感老人感人情派コミカル感、そして何より映画の出来の良さがあります。

飄々とした軽いタッチの都会における人情ドラマ。現代には失われてしまったカフェのサロン文化も堪能できますね。
96年の映画でして、この頃は何度目かの都会の変革期。古い建物が壊され以前の街が失われつつあるノスタルジーも感じさせます。味わいのある老人たちが大活躍する映画でもあるのでして、老人たちの郷愁は若い主人公が見つめる壊されつつある建築物に重ねられ、世代をまたぐ共感というものとして表現します。
「昔この通りはお店ばかりだった」と、個人店が消えゆく通りの様子を見て老人が嘆きます。「ほらここも分けのわからない変な服を売るブティックになっちまった」そんな老人を困りつつ微笑ましく見る若い主人公。
でもこの映画からすでに15年は過ぎています。あのとき微笑んでいた若者は今では「以前は通りに小さく洒落たお店がいっぱい並んでいて、カフェはサロンで、馬鹿話をして煙草を吸って、自由にやっていたなあ」と巨大資本の巨大商業ビルや禁煙マークのついた餌場のようなチェーン店舗を眺めて嘆息していることでしょう。

老人たちやちょっと阿呆な移民青年、その他いろんな人と出会って交流します。淡々と、飄々と、詩的に、かつリアリズムの技法で出来事を綴っていくんですね。
人々や裏通りで起きる小さな出来事の数々に触れていくうちに、誰もが寄り添いながら生きているという人間の暖かさを感じることでしょう。

主演のギャランス・クラヴェルは古典絵画のモデルのような上品そうな野暮ったそうな、そんでもって幼いような大人なような、たいそう魅力的な美女です。
日本では他の出演作がほとんど見当たらないですねえ。「Après vous…」が何年か前の映画祭で日本で上映されたそうですが公開されたりDVD化とかしたのでしょうか。わかりません。
本国では短編やテレビ映画のほか、いくつかの映画に出演されています。

「猫が行方不明」は映画シーンを使わない一風変わった予告編もよい出来で、こんなトレーラーなら誰もが観たくなるってもんですね。
珍しくyoutubeに上がっていた予告編載せてしまいます。

これ見て「この映画観たい」と思うか「狙いすぎだな」と思うかは人それぞれ。

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コメント - “猫が行方不明” への3件の返信

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