惑星ソラリス

Солярис
惑星ソラリス
公開年:
1972
製作国:
監督:
脚本:
原作:
音楽:
主演:
出演:

アンドレイ・タルコフスキーの名を世界にとどろかせた「惑星ソラリス」です。意思を持つ海が広がる惑星ソラリスの宇宙ステーションにやってきた科学者クリスが体験する摩訶不思議な出来事。
リマスター出ましたので記念に観ます。

惑星ソラリス

哲学的とか難解とかいろいろ言われがちな「惑星ソラリス」ですが、さほど哲学的でもないし難解でもありません。科学者という設定の登場人物たちが、およそ科学的とは言えない思考回路でもって感情的で抽象的な会話をしたりします。舞台のほとんどが宇宙ステーション内、登場人物はわずか、そして物語の中心はハードSFではなくて愛です。これ基本的に罪と罰に関わる愛の物語で、アウタースペースでのお話ながらその実インナースペース、つまり内宇宙つまり精神つまり心の物語でもあります。
物語の流れが断片的でストーリーのうねりも若干希薄なので派手派手しいSFを期待していると寝てしまう人続出という、そういう作風でもあります。
しかし今の時代、タルコフスキーがどういう映画の撮り方をするかぐらいは大体誰でも知っているので、このじっとりねっちょりした作風に触れて「何だこれはちっとも楽しくないし冒険しないじゃないか」と怒り出すSF映画ファンなどはいないでありましょう。

というわけでリマスター記念にじっとりねっちょり堪能しました。

いまさらこの映画のことをあれこれ言うこともないんですが、余計な情報がホイホイ手に入るインターネット時代、この映画に関する逸話などをwikiで初めて知りましてそういうのと合わせて観ると別の面白さが出てきたりします。
映画ファンの間では有名な逸話かもしれませんがそんなの普通知りませんからね。

序盤、東京の首都高が延々と映りますが、あれは何かというとどう観ても近未来の社会を表現しています。自動操縦らしき古くさい車が走っています。
あのシーン、近未来社会の表現として、タルコフスキーは大阪でやっている万博を撮りたかったのだそうです。で、来日して撮影しようと思ったらもう万博終わってたとか。それで仕方なしに首都高を撮ったんでしょうかね。まあ行き当たりばったりの監督ですね。

宇宙ステーションのセットなんかが、今見るとちょっと古くさくてお茶目な感じです。いや、30年前に見ても古くさくてお茶目でした。昔の安っぽいSFみたいなセットで、構図など非常に斬新で芸術的なところもあるのですが、やっぱり何かお茶目です。1972年の映画ですから「2001年宇宙の旅」より4年も新しい映画です。いいわけできません。

で、これに関しての逸話もWikiに載ってまして、セット作りは楽しんだものの「あんなものはガラクタにすぎない」とタルコフスキーは語っていたらしいです。
その前に原作者との喧嘩話とか、「2001年」を観ての嫉妬がまざった批判などの前振りもありまして、重厚な芸術家に見えて実は不良アーティストで負けず嫌いのカッコつけのタルコフスキーらしい表現となっています。
きっとSFセットには満足できなかったんでしょうね。上手く出来なかったので「あんなものは重要じゃない。SFなんかカスだ」と逃げを打ったんでしょう。で、その後のSF作品で一切のSFガジェットを排除します。よほど悔しかったのです。しかしそのおかげで、世紀の大傑作「ストーカー」や「サクリファイス」が生まれたのですから、結果的には素晴らしいことになったんですね。というわけで茶化してばかりいるのは照れの一種でして、このチャチなSFセットも味わいがあって映画そのものの魅力と一体化してしていましてね、ほんとはチャチとも思っていなかったりするんですけど、それはそれこれはこれですし。
この「惑星ソラリス」の面白さを敢えてふたつ挙げるとするなら、その1思考するソラリスの海という超絶SF設定、その2愛と後悔の心ドラマ、その3閉鎖環境の独特映像美です。あれ?三つになった。閉鎖環境の映像美にSFセットが一役買っているのもまた確かなことです。

思考する高度な宇宙生物というかなんというか、ソラリスの海です。映画内ではさらりと説明するに留めているソラリスの海の設定はかなりハードなSF設定で、想像力の限界に近い宇宙生物というか存在です。人間とは異なった思考回路の知性を有し、意識をキャッチして物質化する能力もあったりします。私は未読ですが、原作ではこの異世界高度文明有機体存在と人間のコミュニケーションというか何というか、そういうものを描いたりしてるんでしょうか。知りませんけど、まあなんせ高レベルSFです。
知性ある海なんていう設定を、さらりと説明しただけで万人が受け入れられるとは思いにくいんですが映画ではあまり突っ込んで表現しないのでやや抽象的なちょうどよいバランスになったのでしょう。

個人的に知性ある有機体で思考する海などという荒唐無稽なSFに初めて触れたのは筒井康隆氏の「幻想の未来」でした。スタニスワフ・レフの原作小説が何年の作品か知りませんので「幻想の未来」と「ソラリス」の関係はわかりません。筒井が先かレフが先か、はたまた同時代性に基づく共時性のなせる技なのか、どうなのでしょう。
でもまあ何しろ「幻想の未来」を読んで目眩を起こしかけたあの感覚を記憶に残しているので、ソラリスの海に対する理解というか「わかる感」というか、そういうのは格別です。

さてフロイトから頂戴したタイトルである「幻想の未来」ですから「ソラリス」との共通点としてもちろん精神分析的なる心問題へと、すーっと繋がります。

科学者クリスにはかつて妻ハリーがいて今はいません。ソラリスの海がクリスの意識からハリーを見つけ出してこれを実体化させます。つまり宇宙ステーションに妻ハリーが現れるんですね。
最初はSF的に「なんだこりゃーっ」とクリスは大慌て、妻に似た謎の生物を処分しようとして、そしてします。
ですがソラリスの海はまた妻を生成します。
クリスはだんだんとその物質が妻ハリーと存在としては疑うべきものではないと思ってかどうなのか、宇宙ステーション内夫婦の愛の物語となっていきます。

妻ハリーへの強烈な愛、それとどえげつない後悔、そして罪と罰です。最後のほうではめちゃフロイトチックなオチまで現れます。
過去の出来事についての罪と後悔が、宇宙ステーションで最初に現れた妻に対する行為の罪と後悔にシンクロします。

愛の物語です。ですがかなり哀しい愛です。実際には10年前に妻はいなくなっています。その件でクリスの意識内無意識内には消そうとしても消せない記憶と感情があります。愛が強ければ強いほど、ソラリスの海が生成した妻ハリーは現実にいたハリーと同化します。つまり愛の強さ故クリスの罪と後悔をステーション内でまた繰り返すことになるという逃れられない螺旋状の愛の煉獄。こりゃ凄い話ですわよ奥さん。

ステーションはドーナツ状のトンネル地獄、宇宙の果ての孤独なこのドーナツ内部は歩いても歩いても元の場所に戻るエンドレス胎内旅行で意識無意識問わず精神の象徴みたいなものでして深みあり緊張ありです。ガラクタのSFセットがお茶目だから害があるほど強烈ではありませんが、似た効果を後の「ストーカー」で壮絶完成度に高めてやらかしてくれてます。こちらは実害があるレベルです。
それでも、ステーションに到着して間もなくの序盤、このトンネル状の通路でクリスが目にするあれやこれやは壮絶で目が釘付けで息が止まります。

というわけでみんな絶賛「惑星ソラリス」です。私はみんなほど絶賛してませんがそれでもすんごい作品には違いありませんし面白いし斬新だし重々しいし深いテーマだしいやはや見事、あれ?やっぱり絶賛してるやん。

40年前の作品にあれこれ言うと罰が当たりますが、他の登場人物の意識が生み出したエピソードなどがほとんどなかったのが残念で。みんなも観たかったでしょ、自殺した親友とか、残りふたりの科学者の意識の産物とその物語を。全部描くと尺が6時間必要ですがやってほしかったですねえ。

セットや特撮のお茶目さは、ある種の人が「リメイクしたいー」と呻るレベルでしょうか。実際に2002年にハリウッドがリメイク作ったそうですが観る気にもなれないので観てません。見た人は感想教えてください。

まあ何しろリマスター再発おめでとさんおめでとさん。中古価格高騰でむかついていたみんなもこれを機会にぜひどうぞ。

1972年カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞。

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