切腹

切腹
小林正樹監督1962年の「切腹」観ました。
切腹

わりと最近、「人間の條件」全5作を一挙上映っていう貴重な上映会があったのに行けず「人としてこれだけは観とけ作品」のうちの重要なものをまだ観ていないという、生きてる間に観れるのかどうか気にかかっておりますが、小林正樹監督作品、今回は「切腹」を観てみたのでござる。

昔の日本映画を漠然と褒めちぎっているくせに実は全然観ていなくて何も知らないというのが私の正体です。去年初めて見た「山椒大夫」だってそうなのでして、いや、ものを知らないというのは悪いことではないです。だって知ることができますから。

「切腹」は小林正樹監督「人間の條件」を完結させた翌年1962年の作品のようです。原作がある物語でして、内容は切腹にまつわる話です。

これどんな話かというと、まず貧相な風貌の浪人がでかい屋敷にやってきて「切腹するのでお庭を拝借したい」と申し出るところからです。
家老はうんざりという体で、浪人に話を始めます。「最近は切腹したいとやってきては庭を汚されたくない屋敷の主人から某かの金品をもらって退散するという狂言切腹のユスリタカリが横行しておる。そういえば少し前にもチジイワモトメという浪人がやってきてな」
最初は何を言ってるのかわかりにくかったのですが千々岩求女という名前だったです。
で、この千々岩求女がやってきてどういう顛末を迎えたか、話を聞かせるのです。映画的には千々岩求女のお話パートとなります。
そしてこのシークエンスは壮絶極まりないのです。さらに、観るものにある罠をしかけます。

さて、話を聞き終わった浪人は「わしは狂言ではなくほんとにやるのだ」と動じません。「ではやれ」と、切腹の用意をします。ここに来て浪人が介添人を指名したり「せっかくだからわしの身の上話をしよう。皆も明日は我が身と聞くが良い」と急展開。

ストーリー紹介はこのへんでいいとして、名作と語り継がれる映画にはそれだけの理由があります。

まず全体を包む雰囲気ですが、これがまあカッコいいというと語弊ありますがカッコいいです。静寂シーンや俯瞰シーン、特徴的な音楽と共に鬼気迫る演技や舞台を捉えます。
私は幼少期に「怪談」を観て以来脳内に染み込んでおりまして、この雰囲気にトラウマ寸前の恐怖体験を呼び戻されます。恐怖映画ではありませんが「怪談」の恐ろしさと共通する怖さが映像や音響や構図の中に充満しておりますね。

物語はお屋敷で進む浪人の切腹のお話と、その中で語られるふたつの回想シーンによる多重構造です。千々岩求女の話と、浪人の身の上話ですね。
お屋敷の庭で緊迫した空気が流れる中、身の上話レイヤーが進むにつれ緊張感がさらに高まっていきます。
そして最後のほうでは、映画の序盤で語られた千々岩求女レイヤーに掛けられた罠によって、観るものはどん底に突き落とされるのです。

どういう罠かと言いますと、それは言えません。いえ、ちょっとだけ言いますとこうです。最初に千々岩求女の話を観たときにこちらが感じる感情があります。
浪人の話を聞き終わったときにもう一度千々岩求女の話を思い出し、今度は違う感情がわき起こる仕掛けです。違う感情というのは自己嫌悪や反省を含みます。我々は「自分は何という非道い人間であったろうか」と突きつけられます。

構造的にもう一つ面白いのは主人公についての印象もころころ変えることです。飄々とした浪人が、話を終える頃にはまるで違う人間に見えてくることになります。このあたりはミステリーの技法でもあります。映画が始まる前からすでに映画は始まっていたという、そういう構造を作り出して、浪人を多面的に描きまして、さらにちょっと怖くも描きます。このやり方は「セブン」で警察署に現れるあの犯人をちょっと彷彿とさせます。現代的でもある構造をすでにこの映画では実践していたわけですねえ。

「切腹」は切腹のお話でもちろん時代劇です。なのに武士道や切腹に対して批判的です。さらに政策に対する批判、即ち社会批判・政治批判を根っこに持ちます。

人が政治批判に傾くとき、その根底にあるものは何でしょう。
幕府の時代でも今や昔の戦争時代でも一緒ですが、政府というのは愚かで理不尽で理屈の通らぬ事をしゃーしゃーとやったりします。これに対して批判的になるのはただ理屈が通らないからだけではありませんで、何かもっと他のことが根っこにあります。根っこ過ぎて意外と気がつかないそれは即ち人情や人道というものではないでしょうか。
殺人や戦争が何故いけないことなのか、貧困層から資産を分捕って金持ちで分け合うのが何故いけないのか、災害被害に遭った人たちを救済せず見殺しにするのが何故いけないのか、その根っこのところは当然人情と人道です。
とても単純なところですが、これをもうちょっと堅い言葉で言うと基本的人権ということになりますか。公共の福祉に反しない限り完全に守られるべき人権です。公共の福祉というのは社会秩序のことではなくて「他人の人権」のことです。この考えをベースにすると、国民皆殺し政策など支持する理由が何一つなく、どうしても批判的になってしまうというのはこれは自明であります。

詐欺や狂言によるユスリタカリは犯罪だし悪いことですが、その悪いことと死が釣り合うのかどうか、これは江戸時代、60年代、そして現代関係なく普遍的な問題としてあります。
ものを考える力のない現代の阿呆は、すぐ死ねといいます。自分が犯罪者になるかもしれない可能性について想像する力もなく、犯罪者を糾弾しよってたかってリンチにするのが大好きな連中です。犯罪でなくても、単に自分が気に入らないことをしている人間に対して死ねばいいと言う連中もたくさんいます。そして油断できないことに、自分はそんな人間じゃないと思っていても何かの拍子にその考えが一瞬もたげたりするものです。

千々岩求女のパートを観たとき、そういう子供じみた単純思考の罠に堕ちます。武士道などという妙竹林で半端な思考に同調し他人を思いやる気持ちを一瞬なくすこの罠の恐ろしさを、後半の身の上話レイヤーで仲代達也が実際に口にします。
実に見事な脚本で戦慄です。
序盤の堅苦しい世界感から、身の上話レイヤーで突然軽い口調の劇へ豹変するタイミングとかも含めて、後半の立ち回りや決闘シーンも含めて、練りに練られた構成と罠貼りまくりの脚色には誰もが感心して呻るでしょう。

というわけで「切腹」は風格の増した仲代達也の名演技も堪能できます。若い岩下志摩も堪能できます。カッコいい丹波哲郎にも痺れます。お馴染みの俳優さんたちがちょい役でいたりして、世代的な面白さも堪能できます。

政治批判と人の情けが直結していることに気づき、これをもって「政治に人情の介在する余地なし」とか思ってる下衆な人非人はほんとどっか行ってほしいです(死ねとは思いません)

Harakiri - The Criterion Collection (切腹 クライテリオン版 Blu-ray 北米版)

カンヌ国際映画祭で審査員特別賞受賞。

今売ってるDVDはデジタルリマスターかなんかの処理をしたやつなのでしょうか。映像も音声もとても綺麗で観やすいですよ。

2011年、三池崇史監督による「一命」というリメイク作品(同じ原作からの再映画化?)があるそうです。

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