イン・マイ・スキン

DANS MA PEAU
監督、脚本、製作、主演と全てをこなしたマリナ・ドゥ・ヴァンがお届けする年頃女性の心の襞。どろどろのぐちょぐちょ。苦悩、欲望、緊張、孤独、不安、狂気・・・。求めるものは救済か破滅か自己同一性の確保か。「イン・マイ・スキン」は油断できない映画。
イン・マイ・スキン

この作品、どろどろのぐちょぐちょで、心の不均等を切り刻んでえぐり出し血が吹き出るようなひとりの女性の物語です。切り刻んでえぐり出すのは心の中だけではありません。心の外、つまり肉体です。皮膚です。これを切ります。とことん切ります。自分で切ります。そう、これは見るも惨たらしい自傷行為の映画なのですよ。

自傷行為というのは自らの肉体を傷つける行為でして、薬物乱用や摂食障害と並ぶ精神障害の症状です。リストカットも自傷行為のひとつです。様々な動機や原因が考えられます。虐待のトラウマ、強い自責や不安、自己同一性の確認、感情の救済、疎外感などが挙げられます。過度の潔癖症や肛門期に由来する精神的発育障害とも無関係じゃないかもしれません。
広い意味ではタトゥーやボディピアスなどの身体改造も自傷行為に含まれると考えられているそうですが、これは簡単に断言できません。
肛門期というのはフロイトの言うところの口唇期の次の段階の性的発達段階のことで、幼児のトイレトレーニングの時期です。このとき適切な教育を受けられず過剰な厳しさに触れると肛門期固着を起こし、潔癖症になったり神経質になったり小児愛の源泉となったりするという主張です。極端に煙草を嫌う神経症の人間も肛門期に何らかの問題があったと想像できまして、筒井康隆氏はそのため煙草嫌いの女性を「うんこのおばはん」「うんこのねえちゃん」と認識しているそうです。逆に、愛煙家のことを、あれは乳首を吸う時期が固着したものだという主張もありまして、そうすると煙草問題というのは結局おっぱい赤ちゃんとうんこのおばはんの対立に過ぎないということがわかります。あれ?いつの間にか話がそれました。

さて、この自傷行為に走る女性をマリナ・ドゥ・ヴァンが真剣に演じます。
演じるだけではありません。脚本も書きました。監督もしました。製作もしました。マリナさん、あなたひとりで必死こいて何やってんですか。
女優がひとりで全てをやり遂げたという点が、この映画の敷居を高くします。なんだかヤバい香りが漂いませんか?なんか、メンタルメンタルしたどろどろ女性のどろどろ物語だったらどうしようと、そういう不安がありましてなかなか積極的に観たいと思えなかったんですね。

でもそれは杞憂でした。マリナ・ドゥ・ヴァンさんは立派に仕事をやり遂げています。ドロドロはしていますがメンタルメンタルはしていません。イヤらしいねちっこい映画ではありません。むしろクールです。ざくざく切り刻みます。これは思っていたよりいいですよ。

仕事にも恵まれたキャリアウーマンの女性が、徐々に自傷行為に耽る楽しみを見つけまして、どんどん虜になってまいりまして、あーもうどうなってもいいのぉーっって具合に突き進みます。
不安感や苛立ちや自己同一性にまつわる心の動きはじっとりと描きまして、切る行為のパワーアップとともに環境つまり外的世界の様相も変わってきます。この、内的世界+皮膚+外的世界の構造が面白いです。内宇宙と外宇宙を隔てる皮膚という薄っぺらいものの存在があぶり出されます。

この映画の趣旨と全然かけ離れるかもしれませんが、そもそも皮膚とか表面とかいうものに対してはある種の芸術家が常に闘いを挑んでいます。真っ先に思い浮かぶのがダリです。ダリの描く皮膚や表装はまったくもって宇宙と精神を隔てる薄い膜です。それからJ.G.バラードです。短編集「時の声」に収録されている「重荷を負いすぎた男」が最後に見つめる水面、あれも表皮の一種と見て取れます。内的宇宙をテーマに選んだ「新しい波」はもともとシュルレアリスムの影響も大きいですから内的世界と外的世界の結びつきや崩壊は恰好のテーマだったのでしょう。スキンのメタファーで登場しがちなのは水面というやつです。水面を隔てた内面と外世界という対比がこれが表現としてとても判りやすいんですね。水面は鏡にも置き換えられまして、鏡に映った姿を水死体であると宣った寺山修司という人なんかもおられます。何にしろ表皮というのは薄く頼りないもので、にもかかわらず内面と外世界を隔てる重要な境目であるのですから、これは簡単に切れたり破れたりします。そうすると精神が外部と融合したりします。この融合状態が精神疾患の症状であれ宇宙の合成であれ、いつまでも切れ目の周囲に留まることはありません。徐々に拡散します。この拡散を芸術として表現するならともかく、自身を取り巻く環境であるならば拡散しきった後にやってくるのは大いなる崩壊であろうことは容易に想像できます。

何だか分けの分からない話になって参りましたが、この映画はそういうややこしい映画ではありませんのでご安心を。皮膚をざくざく切っていくだけの話です。
この切る表現はホラー映画を凌ぎます。小難しいことを一切無視して、切り株映画としても堪能できます。つまり、ある程度文芸的な映画が好きで、ホラーやスリラーも好きで、変態や奇妙な奴らが出てくる映画も好きで、映画を観て苦しむことを良しとする映画マゾであるところのあなたならきっと楽しんで鑑賞することが出来るのです。逆に、切り株映画や変態や苦しみが苦手な人は覚悟しておかねばなりません。嘔吐く前に鑑賞を中断してもいいでしょう。ていうか最初から観ないすね、そういう方は。

2009.06.15

切り株

ざっくりこ


ところでこの映画のタイトル、「イン・マイ・スキン」はそのままですが邦題には副題がついていまして、正確には「イン・マイ・スキン/人には言えない、私が本当にしたいこと」ということになっています。「死ぬまでにしたい10のこと」みたいな朗らか女性映画として印象操作しようとしましたか。
Movie Booでは時に間抜けな副題はなかったことにして差し上げておりますので、皆さんもなかったことにしてみてはいかがでしょう。

マリナ・ドゥ・ヴァンさんは1971年生まれ。名門校を経てソルボンヌ大学で哲学を修め、その後映画を学んだとのこと。最初から女優というわけではなく、短編映画なんかを撮って受賞していたりするんですね。フランソワ・オゾンの「海をみる」「ホームドラマ」「まぼろし」に関係しています。あ。観る予定に入っていてまだ観ていないやつばかり。

2009年には二作目の長編「Ne te retourne pas」を発表し、カンヌの特別招待作品に選ばれました。ソフィー・マルソーとモニカ・ベルッチが主演のサスペンスしかも「官能サスペンス」らしいですよ。邦題は「ダブルフェイス秘めた女」
全然知らぬ間にもうとっくにDVDが発売されております。 こんなタイトルで気づくわけない(笑)
しかも2009年のカンヌ作品、「白いリボン」や「アンチクライスト」なんかはやっと公開されたばかりで、まさかとっくにDVDが発売されてるとは思いもせなんだ。そういえば第62回のカンヌ国際映画祭は大層豊作で、いい映画が目白押しですねえ。リスト見てあらためて呻りました。
–>Wiki 第62回カンヌ国際映画祭

2011.03.11

 

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コメント - “イン・マイ・スキン” への7件の返信

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