ペルセポリス

Persepolis
ペルセポリス

イラン出身のマルジャン・サトラピが自らの自伝的原作を映画化した長編アニメーション。

ペルセポリス

69年生まれのマルジャン、9歳の頃にはブルース・リーに夢中のおてんばちびっ子です。
両親とおばあちゃんの元、不自由のない金持ち生活を送っていましたがイランで革命が起きてイスラム政権が誕生、さらにその後のイラン・イラク戦争の勃発など国内は荒れに荒れています。
そんな時代背景の元、マルジャンはすくすくと育ち、反骨とパンク精神を維持しつつ、フランス留学や祖国への帰還、その間の政治に社会に家族に恋と、おんなの半生を駆け抜けます。

実はこの映画、見始める前はもっと政治色の強い悲劇的作品かと想像していたんですが、蓋を開けてみれば、ひとりの女性の生きる姿、葛藤と青春、家族と愛を描いたとても人間的女性的な物語だったんですねえ。
もちろんイランの超壮絶な政治的社会的背景は全編を貫く最重要のベースになっております。おりますが、しかしですね、そこがその、女性的視点と言いますかマルジャン視点と言いますか、そのベースはベースとして、社会を描くのではなく個人をより強く、大きなうねりの中の小さな出来事や言葉をより大事に描いてるんですよね。ここが面白いところです。
ある意味激動時代を駆け抜ける少女小説です。女性女性言うことへの抵抗もあるのですが、とても女性らしい映画だと思いました。いい意味で。

マルジャンはどうやら大層金持ちのお嬢ちゃんのようです。両親親戚おばあちゃん、皆教養があって知識人です。激動の中でも我を忘れず、簡単には折れません。裕福であることが知識と教養、倫理と尊厳を保たせる大きなポイントだったのは宿命ですね。
日本とイランはとてもよく似ていますが、日本でもこういった人々がインテリジェンスを保持していた例に漏れません。先の対戦中はもちろん、悲しいかな現在に至るまでずっとそうです。
似ていると言えば女性に対する風紀上の強固な取り締まりもそっくりですね。女性は外では肌を出してはいけない、スカーフを被ってなければいけない、みたいなのは戦時中の男女隔離政策や現代の女性専用列車みたいな間抜けなルールと根本の発想がよく似ています。
このイランや日本(あるいは他のアジアも?)の性差別的政策は、例えば白人世界のかつての狩猟民族的女性差別とは何か根本が異なっているように感じます。
ひとつは助平的変態性において、もうひとつはマザコン的変態性においてです。
助平的変態性というのは女性の何を見ても助平なことしか考えられない助平人間に由来します。「女性が走るとお尻が揺れて猥褻だから走るの禁止」とか、そういったことがらです。女性のファションや立ち居振る舞いを厳しく律するのは女性の何を見ても助平なことしか考えられない助平ならではの発想ですね。助平人間はただそこに女性がいるだけで万年欲情勃起男状態、二の腕や髪すら見えてはいけないのです。そんな助平人間が法律を作るとひどいことになります。
マザコン的変態性は女性に過度の貞操観念を求める自立できないマザコン男特有の変態性です。こういった変態は一見ただの独占欲の強い男に見えますが実は崇高なる女神であり上位自我を支配されているところのお母ちゃん幻想に取り憑かれており、普通の女性に無理矢理当てはめて神経症的潔癖さを求めるタチの悪い変態です。だから神秘の母Aであるところの全ての女性に対して性をイメージさせる生々しさを決して許さないのです。こういうマザコン人間が法律を作るとひどいことになります。

あれ、なんか映画とあまり関係のない話になってきましたので話を素敵方面に戻します。

登場する両親がとても素敵です。知識と教養あるご両親に恵まれ、マルジャンさんは幸運でした。そしておばあちゃんです。「ペルセポリス」はある意味このおばあちゃんに捧げられていると言ってもいいんじゃないでしょうか。それほどにおばあちゃんの存在については最重要視されています。オープニングの花びらから、ストーリーの随所にある大事な言葉から、すべてこのおばあちゃんの素晴らしさを惜しげもなく表現します。

こういったおばあちゃんモノという観点から見ても、日本のドラマ作りととてもよく似たテイストを感じます。
民族的にどうのこうのってのはわかりませんが、メンタリティ的にきっと思う以上にイランと日本は似ているに違いありません。
そういえば国交に関しても日本と中東に関しては言いたいことがあります。映画中でも日本の映画がいくつか登場するのを見てもわかる通り、日本と中東は欧米列強の狭間でとても仲良く、上手くやってきたのです。日本を好意的に見てくれる人も多く、外交的にもいい関係を築いてきました。なのになのに、日本政府と来たらどこぞの先進国の飼い犬の如くしれーっと裏切(長文が止まらなくなりそうなので以下略。話を素敵方面に戻します)

この記事を書くに当たって初めて知ったのですが、お母さんの声をカトリーヌ・ドヌーヴ、マルジの声を娘のキアラ・マストロヤンニが担当しています。
なんということでしょう。マルジのお母さん、素敵なはずですね。母子の会話は本当の母子による会話だったんですねえ。
先日もカトリーヌ・ドヌーヴを観て記事を書いたばかりですが「ペルセポリス」に声の出演をしているとは知りませんでした。どういうわけかカトリーヌづいております。こういうのをユングは共時性と呼びます。私は良い偶然と呼びます。

アニメーション映画ということで、絵についてです。
キャラクターの造型は単純化された、日本の漫画のようなデザインでちょっと不思議な感じがします。
そのキャラクターがいい演技しまくり、ちょっとの表情の変化もとてもいいです。
美術全体に貫く美しさは圧倒的で、煙草の煙から戦争の恐ろしい状況から風景から心象風景まで、大変な高レベル。フランスアニメすごい。と言ってもミッシェル・オスロとルネ・ラルーしか知りませんが、どれもこれもまあ凄いったらありません。どういうこっちゃと思うほどの出来映えで、絵の持つ力というものを再認識せずにはおれません。というか、トップレベルの凄い作品だけを観たからそう思うんでしょうか。

裕福な家庭、知識と教養を兼ね備えた家族、インテリジェンス溢れた教育、そして才能、そしてド根性、それから人間性、そして強運、さらに努力と勢い、これらが全て揃って初めてこのような素晴らしい作品を世界に送り届ける仕事をやり遂げることが可能です。

見事。

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「ペルセポリス」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 8人の女たち | Movie Boo

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