フード・インク

Food, Inc.
「ファストフードが世界を食い尽くす」のエリック・シュローサーが共同製作に名を連ね出演もしている米国を蝕む食の会社ドキュメンタリー。
フード・インク

「フード・インク」が日本で公開されたのは震災前です。核廃棄物に汚染された食品が政府と巨大資本の手によって日本中にばらまかれる事態になるとは想像もできなかった頃です。
「フード・インク」を観て「やっぱりアメリカはひどいなあ」と思いつつも、どこか他人事と思っていた人も多いのではないでしょうか。核汚染に隠れてまさかのTPPをも強行しようとする腐った内閣を、すでにみなさまは目撃しています。そうなんす、もはや他人事ではないのです。

さて「フード・インク」はアメリカの食、そして食を司る巨大企業のドキュメンタリーです。この映画を観ずに「だいたいどんなことを描いているか想像できるわ。こういうこと、知ってるし」とお思いの方もおられると思います。でも知っていることであっても映像でがつんと見せられればやっぱり面白い・・・と言っていいのかどうか、印象は強烈に残ります。映像の力はやっぱりちょっと大きいです。

公開時の宣伝なんですが、「食の危険」についての映画であるとプッシュしていたようで、うっかりすると「そっち系」の人向けの単なる食の危険を報告するドキュメンタリーかと思いがちです。が、ご覧になればわかるとおりこれは単に「飽食時代の食、みんなが知らない食の危険」だけの映画ではありません。タイトル通り「インク」つまり会社の話です。
食のビジネスを牛耳る巨大企業というのは、なんとなくみんなが知っている気になっている以上に危険でありまして、そこに注目するように出来ています。
今では例えば、電力屋をはじめとする利権マフィアが善良な市民を如何に残酷な目に遭わせて儲けているか、遅きに失したとはいえ多くの人が知ることになりましたが、それのフード・ビジネス版がまさに「フード・インク」のメインテーマであるというわけです。

DVDのパッケージに「ユッケ食中毒がどうたらこうたら」と間抜けな文章が見えますが、そんなくだらないことを予言しているのではありません。このキャッチコピーを採用した知性のなさに呆れます。

「ファストフードは世界を食い尽くす」は食の現場、労働問題、移民問題、文化の問題、そして企業、というふうにテーマを広く網羅した本でありました。語り口が軽くてすぐに読める簡単な本でしたが、やはり言いたいことがありすぎたようです。
エリック・シュローサーは「ファーストフード・ネイション」では主に移民・差別問題に注目したドラマを作りました。本作「フードインク」はさらに踏みこんで企業ともしかしたら国家戦略、そして人の生きる道にまで言及します。
ですから「フード・インク」は「オーガニックに目を向けよう」とか「無駄を減らしましょう」といったちんたら暢気な主張をしているのではなくて、映画的には「ザ・コーポレーション」やマイケル・ムーア「シッコ」と並ぶ、告発の社会派作品なのであります。

アメリカの病理の代表、違う言い方をすれば、国民をぶちのめしひれ伏せさせる支配戦略の根幹をなすのは、人生を支配することです。下々の人生を支配することが強大な利益を生むのであり、税金を取ったり兵隊にしたりするだけのせこい金儲けとは規模が違います。
歴史に応じて、鉄道、石油、情報と次々に金のなる木を育ててきた大金持ちたちは休む間もなく「食」や「医療」に踏み込みます。
暢気に暮らしている間に生きる基本である「食」をも牛耳られた哀れな大多数の庶民たちは、気がつくと安くて気持ち悪い変なものばかり食べて病気になったりするわけです。病気になればしめたもので、高額医療費が待ち構えています。
食と医療は何となく赤い糸で結ばれた互いに影響し合う事柄であるとわかります。
この二つの現状を映画で確認するには「フード・インク」と「シッコ」を観なければならないわけで、これはもはや現代庶民の生き抜くための知恵の元、これらをふまえるのは義務であるとすら言えるのではないかと。

そういう意味で、啓蒙と告発色が強い本作は、「いのちの食べ方」とは全く異なる映画です。
「いのちの食べ方」は食の大量生産に多少の疑問符を投げかけてはいるものの、基本的には食材がどのように作られているかを綺麗な映像で淡々と表現する美しさあふれる映画です。何しろドイツ・オーストリアの作品ですからね、何も怖くないし、危険度も知れているし、子どもと一緒に見て食の仕組みを学ぼう、って感じです。アメリカや日本とは根本的に異なります。

さて「フード・インク」の映画の内容についてですが、そうこう言いながらも映画を映画として楽しむMovieBooとしましては、意外なことにポップで映像派のとても見やすい作りについて言及しないではおれません。
「フード・インク」を見始めてまっさきに思うのは「かっこいー」だったりします。
映像、編集ともにたいへん凝ってます。CMみたいとか言うとほめてることにならないのかな、なにしろ綺麗でクールな映像が迫力の編集で迫ります。スピーディで全く退屈することなくドキュメンタリーに入り込めるでしょう。
ドキュメンタリーは地味な映画であると思って敬遠してるような人も全然OKですよ。マイケル・ムーア作品の面白さとはまたちょっと違った、映画として作られたものの格好良さがあります。

ちょっとオーガニック系の立派な農家が登場します。どの国にもものすごく勉強していて努力している農家がおられまして、尊敬できますね。で、このアメリカ人の立派な農家の人なんですが、それでも日本人から見たら「荒っぽいよね・・・」と思ってしまうシーンがあります。
日本の一次産業のレベルの高さを改めて思い知らされます。

さてそういうわけでこの映画の落ちをネタバレするんですけど、個人的にずっと言い続けているある事柄があります。その内容、主義主張と、この映画が最後に行う主張が全く同じなのですね。
それはなにかというと、我々ひ弱な庶民が対抗する唯一の方法についてです。
選挙のことだと思いますか?もちろん違います。
選挙など茶番ですから、どこの誰が政治家になろうとほとんど何の影響力もありません。
政権交代に期待した皆さんが目撃して絶望している民主党の惨状を見ても明らかなとおり、結局政治の中枢には資本の家来しかたどり着けません。何党が政権を担当しようと違いはありません。さらに、善良な市民たちのほとんどはアホですから、情報で踊らされたあげく結局は夢遊病者的投票行動を行い、革命的な選挙結果が訪れる可能性は0に等しいわけです。
で、病んだ世界がなぜ病んだ世界かというと、倫理も儀も失った銭儲けの亡者たち、法人というわけのわからない架空の人格が利益教の信徒と化して地獄のダンスを踊っているからなのでありまして、そうですここにヒントがあります。行動原理であるところの銭儲けです。
それに対抗できる唯一の手段がなにかというと、庶民の消費行動なのですね。
「消費者」などという侮蔑的な呼び名で呼ばれている我々は哲学的に言うところの「消費する機械」です。間抜け面して、微々たる収入のすべてを消費することに費やす情けない種族なわけですが、がんばって消費する対象を厳選することにより、選挙を上回る効果を期待できます。
ものを買うとき、食材を買うとき、その食材をどこのどいつが提供しているのか、そいつが他にどんな悪行の数々を行っているか、きちんと見極めて、金を落とすに相応しいところにだけ金を落とすという行為を続けることにより力になっていきます。
微々たる力ですが、何年かに一度しかない選挙と違って、毎日が行動するチャンスなわけです。
地獄のダンスを踊っている連中は常に売れることだけを考えていますから、売れなくなれば他の手段を執ります。たいていは情報という悪辣な手段を執るので対抗するのは至難の業ですが、そこはやはり草の根の力を地道に使って、少しでも消費行動に責任を持てる人間を増やすことが重要だし、まあ、それしかすることがないのでありますが。

というわけでこの映画の結論は「消費を意識せよ」です。てへ。オチを言っちゃった。

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