チェンジリング

Changeling
1920年代ロサンゼルス。電話会社に勤めるシングルマザーのクリスティン(アンジェリーナ・ジョリー)の息子がちょっと目を離した隙に行方不明に。ちょっと遊びに行ってるだけ?誘拐?家出? 探します。警察にも届けます。だんだんと母は半狂乱。息子はどこ。息子はどこ。
チェンジリング

クリント・イーストウッド監督のことを何も知らずにいて、それからちょっと知って数年、映画ファンの間では常識レベルだそうですが、いわゆる名作ドラマの本流を描かせたら天下一品のドラマ派監督、しかも一本の映画をものすごく早撮りするのだとか。仕事が早いってのはすごいですよ。

というわけで2年前に観て下書きだけがあった記事「チェンジリング」です。この映画はきついっすねえ。強く印象に残る映画でした。古い記事ですが新しい記事みたいにアップしときます。

まあこれは目を離す暇が全くない優れたミステリードラマ。スリラー風味ありホラー風味あり不条理におののく瞬間あり権力との戦いありジェンダー系主張もあり、ノスタルジー系でもありいろんなものが詰まっています。これ一本でたくさんの映画を観た気にすらなれるお得な一本。
そしてアンジェリーナ・ジョリーの出演作では最高の一本。綺麗だし、辛いし、母だし。格上げました。アンジーの倍率は一気に倍。ドン。

お話は息子が消えて母が探しますがえらい目に遭います。

途中、信じられない展開をみせます。お口あんぐり頭くらくら目は点です。そして恐怖です。母、辛すぎますし、非現実感を伴う悪夢のような不条理を感じます。これかー。こんな展開なのかー。と、驚きました。

1920年代にロサンゼルスで実際に起きた事件を元にした作品だそうです。
その事件とは「ゴードン・ノースコット事件」という事件でありまして、まあ変態チックで糞恐ろしい事件であります。
普通にこの事件を映画化するとすれば、スプラッターのサスペンスホラーにしかならないようなそんな事件です。

この恐ろしい事件を題材に、クリント・イーストウッドがテーマとして中心に持ってきたのは、クリスティン・コリンズに降りかかった災難につぐ災難であります。

まあ皆さん、にわかには信じられない異常な展開を見せてですね、息子の失踪より警察=権力の恐ろしさをまざまざと見せつけられるわけでありますよ。こわー、です。

これはまるで、史上最悪の原発事故があったとして、核を閉じ込めるどころか大拡散させて、情報出すどころか隠蔽して、汚染地区の中で人が生殺しにされ、事実としての危機を口にしただけで「非国民」と迫害されるかのような、ちょっと想像できないくらいの理不尽さです。

まあそんな戦時中の日本かどこぞの独裁国家みたいなことは現実にはあり得ないでしょうが、「チェンジリング」でクリスティンが見舞われる理不尽さはそれくらい不条理な理不尽という一つの極端な例えであります。つまり、クリスティンにとっての悪は「ゴードン・ノースコット事件」の犯人より警察=権力であるということです。悪人が悪であることよりも、権力や正義仮面が悪だったほうがダメージが大きいという、そういう知識人ならではの社会批判も感じ取ることができるというわけでありますね。

さて、母と子の執念の愛です。
これは古今東西、あらゆる文芸や映画の永遠のテーマです。なんといっても父と子より母と子です。愛の深さと不憫さが半端じゃありません。
「チェンジリング」のクリスティンは「漂流教室」の高松翔の母親のように髪振り乱して息子を探しますし他者から見捨てられます。高松母との共通点を感じますですねえ。もちろん感じなくても問題ありません。

高松翔とかどうでもいいですが、そういうわけで「チェンジリング」はかなりの清く正しい名作映画。これにケチつける人なんかいるのか、と思ったら結構いて笑ったんですが、何にでもケチつける人っているものですねえ。好き嫌いも人それぞれってことで。

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