テキサス・チェーンソー・ビギニング

The Texas Chainsaw Massacre: The Beginning
名作「悪魔のいけにえ」(1974:トビー・フーパー)の続編、というか過去に遡り殺人鬼の「誕生秘話」みたいな設定の2006年の新作。企画モノの一過性作品かと思って侮っていたら大間違い。ジョナサン・リーベスマン、舐めてました。ごめんなさい。
テキサス・チェーンソー・ビギニング

トビー・フーパー1974年の「悪魔のいけにえ(THE TEXAS CHAIN SAW MASSACRE)」ですが、まあこれは映画史上に孤高の存在として永遠に刻まれる奇跡的名作でして、こういうのをいくらリメイクしようが何をしようが、誰も超えることは出来ません。

トビー・フーパー自ら作った続編「悪魔のいけにえ2」(1986)では自作をパロってお笑いB級仕立てにしてしまう他なかったし、2003年のリメイク「テキサス・チェーンソー」も出来は全然悪くないけどオリジナルと比較すること自体が無意味になってしまうという、それほどまでに「悪魔のいけにえ」は特別なわけです。もう、こういう歴史的名作は触らない近寄らない相手にしないというのが一番いいのでして、やればやるほど、出来が良ければ良いほど不運に見舞われます。

でも挑戦しました。今回挑戦したのは製作のマイケル・ベイそしてジョナサン・リーベスマン監督です。

リメイクではなく、続編にして誕生秘話、如何にしてレザー・フェイスが生まれたかという所謂シリーズ0、所謂ビギニング仕立てです。

歴史的名作を「ビギニング」などといじくって汚す恐れ知らずの罰当たり者め。と、マニアックに沸き起こる怒りをとりあえず収めて、MovieBooの結論をまずお聞きください。いいですか、マイケル・ベイを馬鹿にしていてはいけません。

「テキサス・チェーンソー・ビギニング」大傑作!ようやった!これは凄い!素敵!

はい。結論でした。実は私もですね、最初はですね、「悪魔のいけにえ」のシリーズだぁ?レザー・フェイスの誕生秘話だぁ?びびびビギニングだぁ?あほか何をしょうもない企画モノやっとんねん、寄ってくんなあっちいけしっしっ、などと、ちょっとは思っていたわけなんですが、まずさいしょジョナサン・リーベスマンが監督と知って少しだけ興味が湧いてきたんですよ。

ジョナサン・リーベスマンは南アフリカ出身の監督で、デビューが「黒の怨」です。「黒の怨」はホラー仕立てのファンタジーアドベンチャーで、メジャーっぽさとホラーっぽさとちょっと演出に変わったところがある個性を感じさせる作品でした。大したことのない映画ですがどういうわけか印象には残っていました。「印象に残す」というのも作品の力のひとつと素直に認めるべきですね。
で、そのあと「実験室KR-13」を観て、これも印象に残りました。個性的という意味で良い印象なんですが、両者とも「後半がファミリー的娯楽展開」になります。「個性的ないい演出するいい監督だけど基本娯楽路線」という、好みで言えばまあどうでもいい系、評価でいえば大物になり得る実力、と思ってました。
で、「テキサス・チェーンソー・ビギニング」をすっとばして「世界侵略:ロサンゼルス決戦」観て、戦闘シーンのホラー的演出にまたもや感心しつつ、どんどん成長していっていることが見えましてですね、娯楽路線と言ってもやっぱりこの人ちょっと変なところあるよなあ、と、ほんわか注目していました。というか妙に引っかかる監督で、注目しないではおれない何か魅力がありましたですよ。

ですので企画モノの「テキサス・チェーンソー・ビギニング」にもずっと興味はありました。「悪魔のいけにえ」崇拝主義者としての葛藤さえありました。嘘です葛藤なんかありません。

いやまあそんなわけですが、何かのきっかけでどこかの誰か知らない人が「テキサス・チェーンソー・ビギニング」がすっげえ面白い、と言っていたのを小耳に挟んで、そうなのか、ちょっとぐらい面白いのか、と、どんどん観たくなってきましてですね、それで、観たいなぁいつか観たいなぁと思いながら数年間が過ぎて、やっと観ることが出来ました。

いつものジョナサン・リーベスマン作品のように「とてもいい演出がいくつか含まれつつ、後半は娯楽要素に満ちた楽しめる作品」だろうと勝手に決めつけて時間つぶしのつもりで見始めました。

前振り長すぎですが、そうやって見始めた「テキサス・チェーンソー・ビギニング」ですが、まあ皆さん、見事にやられました。何が「娯楽要素に満ちた楽しめる作品」か。予想大外れ。確かに演出はメジャー映画的なくどくない演出です。オリジナル「いけにえ」の荒っぽさはありません。しかししかし、ただの娯楽作品かと舐めていたら大層痛い目にあいます。ど迫力でど緊張です。B級テイストに逃げることなく、照れてパロったりすることなく、本気の勝負を挑んできます。
被害者たちも単なる糞馬鹿ティーンかと思っていたらどんどん人物に肉付けされて感情移入できるように持っていくし、レザー・フェイス誕生秘話みたいな売りに騙されてたらやつは単なる脇役で恐ろしい糞じじいの添え物でしかないし、いろんな意味で予想を裏切られ、それが心地よい・・・というか恐ろしいです。

恐ろしさのひとつはまさに「ビギニング」にあります。
この作品は「悪魔のいけにえ」より前の時間軸を描いていますから、当然ながらチェーンソー男も、彼の家族も「悪魔のいけにえ」の時代に生き残っています。これが前提であるがために、所謂娯楽作品のように「最後は主人公たちが反撃して気違い共をやっつけて危機一髪で助かる」という甘い予想は許されません。気違い一家は生き残るのです。反撃して刺し殺すとか、そういうことにはならないのです。ということは、ものすごく上手くいったとして「一家から逃げおおせるかどうか」という話になってまいります。ここですよここ。

逃げおおせるためには走ったり歩いたりしなければなりません。あるいは誰かに助けてもらわなければなりません。上手く逃げてほしい、と素直に思いながら観る羽目になります。で、逃げられるかもしれないという期待がちくちくと壊されていきます。絶望感がじわりじわりとやってきます。ある瞬間かすかな希望の糸がぷちっと切断され「あ、無理」という、そういう絶望の雪崩がやってきたりします。恐ろしすぎます。

この恐怖感はアメリカ映画にはめずらしい「ファニーゲーム」的な恐怖です。「悪魔のいけにえ」より以前の話であるという虚構の設定を受け入れることによってはじめて生まれる恐怖ですから、「現実的虚構」あるいは「虚構における現実」という文学的体験を知らず知らずにしていることになります。「ファニーゲーム」で一抹の希望を打ち砕く決定的シーンが「これは虚構である」という宣言だっとのと同じく、虚構の中の虚構なればこその恐怖心をかき立てるこの効果、「テキサス・チェーンソー・ビギニング」の重要な高評価ポイントとなっております。

ジョナサン・リーベスマンの恐怖シーンの演出は流石のレベルで、動きのシーン、アクション的なシーン、どれもこれも素晴らしいです。じらすタイミングや裏切るタイミングやお約束シーンのお約束直前のスピーディな展開など、演出も編集も地味に大胆で新しさがあります。「世界侵略:ロサンゼルス決戦」でも堪能出来るこの監督の技術は、やっぱり頭一つ抜きんでていると断言出来ると思います。アレクサンドル・アジャやピーター・ジャクソンなどと近い印象も持ってます。「アメリカ人ではなくホラー出身でアメリカで成功した監督」という共通点ですね。

他にも見どころはあります。「悪魔のいけにえ」への敬愛を込めた「再現に近い」シーンがあったり、それとなく紛れ込ませている高度な笑えるシーンがあったりします。「ここはお約束」「ここは裏切る」みたいな計算高さもうかがえます。

製作にはマイケル・ベイ、トビー・フーパー、オリジナル脚本のキム・ヘンケルなどの名が見えます。本気度満点ですね。
最初は馬鹿っぽいけどちゃんと魅力がある若者たちもがんばってます。「ロサンゼルス決戦」に出ていた人もいますね。
そして真の主人公、保安官になっちゃった気違い親父をベテランR・リー・アーメイが好演。このおっさん、怖くて鬱陶しくて最悪でしたね。「フルメタル・ジャケット」のハートマン軍曹ですね。

てなわけでこんな恐怖映画であれこれ語るのは野暮でダサい話ですが、予想を裏切るあまりの出来の良さに我が家の映画部では夜遅くまで「めちゃおもろい映画を見た後の狂宴」が繰り広げられ、はぁはぁぜぃぜぃ言いながら反芻し堪能し褒めちぎりくだらないツイートをしつつはしゃぎ続けていたのであります。

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