スノータウン

Snowtown
スノータウン
公開年:
2011
製作国:
監督:
製作:
  • アンナ・マクライシュ
  • セイラ・ショウ
脚本:
原作:
撮影:
音楽:
  • ジェド・カーゼル
主演:
  • ルーカス・ピッタウェイ
  • ダニエル・ヘンシュオール
出演:
  • ルイーズ・ハリス

オーストラリアで1999年に発覚し世間を賑わせた殺人事件についての実話ベースの物語。リアリズムの技法で徹底的に描く貧困と正義と暴力。ずっしり重苦しく、胃がごろごろ言うような不快感と絶望を感じて気分が落ち込むこと請け合い。

スノータウン

ずっしり重苦しく、胃がごろごろ言うような不快感と絶望を感じて気分が落ち込むことを良しとする映画マゾにはとっておきのオーストラリア発最悪映画です。こんな映画があったんですね。

1999年に発覚したある事件についての映画です。正確には、このオーストラリア中を賑わせた事件に関する二点の書物を原作とする映画のようです。
1995〜99年に起きたこの事件がどのような事件かは、いくつかのサイトで詳細を確認することが出来ました。しかし映画を観ているときはそんな事件知らないし、事件を元にした映画と言うことも知らなかったので、よりピュアに映画を堪能できました。だって何が起きるかわからないほうがね、誰がどうなるとかね、知らないほうが純粋に楽しめるかもしれません。

さて、このセンセーショナルな事件、確かに話題になって本になってもおかしくありません。特殊だし派手です。しかし、こうした突出した犯罪というのは、特殊なだけではなく、その中に普遍性があったりします。
犯罪自体は珍しくても、その中には誰もが「あるある」と肯く要素が天こ盛りです。
身に覚えがあったり、近いものを感じたり、潜在的に危機を抱えている人が都市には多くいることを感じ取ったりできるでしょう。そして犯罪というのは社会を写す鏡でありシステムの縮図であります。犯罪を観れば社会が見えます。

こうした普遍性を強調する「スノータウン」の映画技法は徹底的なリアリズム描写です。ドラマ性も説明臭さもすべて排除して、淡々と人の営みと行為を映し出します。
情緒の表現も物語の親切設計もすべて排除します。ただそこにいる人を映し出します。
まるでドキュメンタリー素材を適当に編集したかのような、ぶっきらぼうな物語の進め方です。こうした技法が内容にぴったりフィットで、不快感倍増に一役買っています。

不快感に関する描写は細部まで貫かれており、人を不快にさせることだけを喜びとして実践しているとしか思えないシーンの数々です。例えば音です。強調された生活音や雑音です。ビデオゲームの音やテレビの音もことさら強調されます。バックグラウンドのサウンドも不快系音楽です。もう始終いらいらそわそわどきどきわんわんします。わんわんって何だ。
食事シーンもそうです。人がものを食ってるだけのシーンでこれほど不快感を感じされることが出来るんです。しかも食事シーン、何度も出てきます。不味そうで気まずそうで、不快感100%。ものを食べるということ自体が羞恥の対象であるかの如く感じてしまうほどです。

さてさて、犯罪や事件は社会の落とし物、犯罪者は為政者の合わせ鏡です。

極端な例の中に、「一歩間違えればこのようになるかもしれない」という氷山の下の方っていう状況、きっと世界中に多くあることでしょう。この映画を観ながら、何年か前に日本を震え上がらせた北九州の事件を思い出したりしました。
確かに極端な犯罪です。ほとんどの人はこんなことしませんしこんな目に遭いません。でも氷山の下の積み重ねが一角を擡(もた)げるのであるからして、特異な部分を見て「関係なし」と判断を下さず、普遍的な部分に目を向けて危機を感じとるというのが賢い人の考え方です。

正義

いきなり正義です。MovieBooでもたびたび言及しています。胡散臭くいかがわしい正義です。悪辣で暴力を伴う傲慢と憎悪が合体したもの是即ち正義です。ついこないだもバンドサイトの日記で正義について書いたばかりなのでタイムリーです。
正義とは悪を憎む心のことでありますから、悪と認可したものを激しく憎みます。この事件の場合、小児性愛者やゲイに憎しみが向きます。憎しみとは愛の一種ですから、憎しみが激しいほど何かしら深層心理的に影響を受けた経験があるのでしょう。小児性愛者が変態だとすれば、それに対して異常な憎しみを覚える側もやはり変態ということになります。

暴力

そして正義と言えば暴力です。正義が好きなやつらってのは基本的に暴力を好みます。暴力は野蛮な物事ですから賢さと反対のものです。賢さとは想像力ですから、想像力の欠落こそが暴力に直結します。この映画に出てくる犯罪者も暴力人間ですから想像力が貧困です。ですが自覚はありません。むしろ自分を賢いと思っているかもしれません。また、周囲には賢い人と思われている可能性もあります。もちろん周囲はもっと阿保です。または怯えた存在です。それらは暴力人間のカリスマ性に群がり閉鎖環境の村社会を形成します。こうして独裁者は確乎とした存在となります。

独裁

独裁者がルールを定め、そのルールに則らないものを悪とします。カリスマ独裁者ですから周囲も同調します。そして正義の行いとして悪を攻撃します。
周囲の人は皆が皆独裁者に陶酔しているわけではありません。内心「なんか変だなー」と思っていたりする人もいます。しかし閉鎖環境の孤立した環境が生む恐怖というものに太刀打ちできません。端で見ていたら「なぜこんな間違ったことを」と思っていても、内部で洗脳されたり恐怖で縛られているとどうしようもなくなります。

洗脳

変な宗教にはまる人や独裁者の思うがままに操られる人達というのはこれはある種の洗脳を受けた状態です。カリスマ犯罪者の周囲にいる人間も基本洗脳です。恐怖心も洗脳の一種です。というか、洗脳に最も効果があるのは恐怖を植え付けることです。とにかく独裁者は他人に影響を与えることに関しては才能がありますから、閉鎖環境下で弱い人間たちを操ることは得意中の得意です。自覚して作戦としてやる人もいれば、持って生まれた才能で勝手にそうなっていく場合もあるかもしれません。

貧困

閉鎖環境にある小さな社会が独裁者の下でなぜ簡単に出来上がってしまうのか。その答えは貧困にあります。
貧困は人々から冷静さを奪い、思考力を低下させ、想像力を消し去り、判断力を鈍らせます。古今東西、貧困こそが集団の狂気を誘発する最も大きな原因です。特に文明国の貧困、都市生活者の貧困は深刻です。すぐ隣にある貧困を、存在しないかのように無視するのが社会というものです。社会から無視された貧困は当然のように社会内閉鎖社会を形成します。この閉鎖社会で何が起こっているのか、周囲には見えません。内部では恐怖と洗脳の正義が横行します。こうした閉鎖環境の最小単位が家庭です。

家庭

最小単位である家庭内における独裁やDVと根っこが同じだということがわかります。独裁者のように振る舞う暴力亭主の正義に太刀打ちできない家族の姿というものが都市社会でいったいどれほどあるのか見当もつきません。日本で起きた北九州のあのおぞましい事件も「なぜそうなった?」と他人は思いますが、内部では「そういう常識と正義」でもって閉鎖社会が完成したのですね。恐ろしいことです。予備軍はたくさんいると思います。

国家

最大単位である国家における政策とも根っこが同じだということがわかります。貧困を利用して恐怖心を煽り、おかしな洗脳を施してルールと正義を根付かせ、頓珍漢で意味不明の戯言を言いながら狂った政策を決定して時には構成員に命じて大量の殺人行為を行ったりするこの国家という狂人とオーストラリアの犯罪者にいったいどれほどの違いがあるのかというと、これが全く何一つ違いなどないということに気づきます。
それに気づくような映画の作りとなっています。

実際のところ、この映画の主犯格の男には明確な正義やルールがあるわけではありません。出鱈目の正義感であり、一貫性もなく、単なる非道な犯罪者です。ですがそれもまた国家と同等であると思わないではおれません。

ショッキングな事件というものは大抵がこうした社会との関連において似たような性質を持っています。閉鎖環境の独裁者と洗脳組、貧困、正義の発露、虐めの構図です。逆に、こうした社会との類似を強く感じる事件だからこそ多くの人が衝撃を受け書物になったり映画になったりするのかもしれません。

そういえば法律というものがあって、国家が普通にやっていることを国民が真似すると重罪になったりします。
国は正義のためと言いながら他国民や自国民を殺戮しますが国民が他人を殺せば重罪です。ゆすりにタカリ、窃盗強奪詐欺などすべての犯罪は国家がやると国策と言われます。国民がネズミ講をやれば逮捕されますが国家は国民にネズミ講をやります。日本ではギャンブル禁止のはずですが国家はギャンブルの元締めでしかも独占しています。面白い現象ですね。

というわけで話がそれまくる前に映画に戻します。
いや、まあこの「スノータウン」という映画自体に社会への警鐘が含まれているのかどうかはわかりませんが、中心登場人物たちとその街の描写の中で、絶えず貧困というものがベースになっているのは間違いないと感じ取れます。

映画としては最初に書いたように徹底リアリズム描写で不快指数満点ですが、それ以外に映画としてのちゃんとした部分がきっちり出来ていて、そのため説得力があると思えます。

脚本と演出の特徴は、ぶつ切りの断片のようなストーリーにも顕れています。人物の説明も極力排除しており、何がどうなってんのかわかりにくい部分も多くあります。人物説明も詳細なストーリー説明も不要!っていうこの潔さが映画的にもクールでたいへんカッコいいのです。

オーストラリアの映画ですので、私には役者さんも馴染みがありません。でも主犯を演じた人のキャスティングは素晴らしいの一言。人なつっこそうな、優しそうな、そんでもって怖そうなこの人のこのキャラクターは格別です。この役者さんでなかったら成立しなかったのではと思うほどです。
主人公青年の顔つきもいいです。彼の辛さは誰にもわかりません。よく演じきりました。でも本当の地獄は映画本編の後にやってくるんですねえ。怖いですねえ。
母親のキャラクターもたいへんいいです。ややだらしなく、やや駄目人間、でも愛情はあったりして、人間の弱さというものを表現しつくしています。

いやあ、こんな映画があるとは知りませんでした。

“スノータウン” への 3 件のフィードバック

  1. 気持ち悪く、見る価値もない嫌な映画、などと酷評してる方もいますが私はとてもすごい映画だなと思いました
    同じく、役者さんの演技は最高で、本物のサイコパスぶりがとてもよかったです
    お母さんも、全部わかってるような、あのけだるそうな感じ
    日本でいえば冷たい熱帯魚と言われていますが、とても嫌な気分にさせてくれますが、それ以上に次に何がおこるんだろう
    誰が死ぬんだろう、など予想のつかない面白い映画ともいえます
    なかなかの名作ではないでしょうか?

  2. コメントありがとうございます。その通りですね。
    私もこの映画とても高く評価しています。
    淡々とした展開の中に胸に突き刺さる演出を含ませたり、役者の力もすごいですし、注目に値すると思います。

コメントを残す