ル・コルビュジエの家

El hombre de al lado
リフォームの改装工事をめぐるお隣さん同士のトラブルを描きますが、その家がル・コルビュジエが設計した家ということで、トラブルと名建築家の建物とおかしな人と摩訶不思議な出来事を堪能できるテーマ分散型不条理設定のモダンムービーにございます。そうとう面白い。
ル・コルビュジエの家

「ル・コルビュジエの家」はアルゼンチン発のジャンル不詳摩訶不思議映画です。とてもへんてこりんな映画です。

南米と言えば現実と童話と不条理と歴史と幻想と笑いと恐怖が混ざり合う高度な文芸作品を連想しますが、この映画はそういう文芸系とは異なる作風です。でもへんてこりんはへんてこりんで、そういう意味でユニークで文芸的とも言えます。でもその文芸はコミカルで疾走感がある系統なので、ただ単に「とっても面白い話」で済ませても別にいいです。

お話、設定

お隣さんからドッタンバッタン音がして、何事かと思ったら、主人公宅の窓の真向かいの壁に穴を開ける工事をしてるんですね。
「こらこら、こっちに向かって穴を開けては駄目でしょう」と工事の抗議する主人公です。
隣家の住人はいかつい男で「暗いからこの場所に窓を作りたいんだ。作らせてくれよ」と譲りません。

この映画の基本設定は、窓を作りたい隣人の男と作らせたくない主人公のトラブルです。あれこれ揉めます。リフォームトラブルコメディです。でもただのコメディではありません。へんてこりんで文芸的で摩訶不思議です。

へんてこりんな映画というのは主に隣人ビクトルの面白すぎるキャラクターによります。
この人の面白さは「ル・コルビュジエの家」を貫く基本のテーマで、いわゆるトリックスター的な多方向キャラクター。この映画は隣家の住人ビクトルを堪能するためにある映画と言っても過言ではありません。リフォームトラブルで起こる様々な揉め事やエピソードがビクトルを中心に回ります。

異質な組み合わせ

邦題にもなっているル・コルビュジエが設計した家というのも大事なファクターですが、べつにリフォームトラブルコメディにル・コルビュジエなど必要ないと言えば必要ありません。でも必要だったんですよね。
必要ないのに必要であるというのは、この要素が映画内世界の構築に必要不可欠ということ以外に、必要ないからこそ必要なのであるという理屈も成り立ちます。
デペイズマンによる異化効果です。
異質なものの組み合わせというのは、昔は芸術作品の技法として、今ではコメディやナンセンス作品の技法として誰もが認識しています。
「ル・コルビュジエの家」は、リフォームコメディ+トリックスター+名建築家の建物というセットで異化効果を発揮しまくりました。

もひとつついでにいうならば、コメディ映画の流れとサイコ文芸の効果、つまり笑いと狂気を組み合わせたノージャンル映画でもあります。

笑いと狂気は紙一重。ギャグなのか恐怖なのか、単に面白がって観てていいのか、それとも文芸的なものを感じ取って呻りながら観るのか、どうにも判断しにくい作りの映画になっています。

これと似たような感覚に陥る映画がありました。内容はまったく違うし、技法も違うし、何一つ共通点はないのですが、ギャグと恐怖、コメディと文芸、真面目なのかふざけているのか、摩訶不思議世界のモダンムービーと言えば連想するのはそうです「籠の中の乙女」です。

「ル・コルビュジエの家」は「籠の中の乙女」に比べたらずいぶん普通ですが、それでも奥深さやモダンな作りが共通しています。

じつは邦題が効いています。この映画、もともとのタイトルは「隣の男」です。このままのタイトルだと隣人ビクトルの映画とわかりますし、実際ビクトルを楽しむ映画です。それなのにわざわざル・コルビュジエの名前を邦題に付けたというのは何が狙いだったんでしょう。真面目なミニシアター派を騙くらかして呼び込むためか、あるいは内容にふさわしいモダンなイメージを増長させるためか、はっ、もしや建築会社さまを協賛に迎えたためか・・・! まあ理由はともかく、邦題のイメージによる不可思議感アップは確かにあるような気がします。

ル・コルビュジエ

さてル・コルビュジエですがフランスで活躍した名匠です。近代建築の三大巨匠のひとりとされています。他のふたりはフランク・ロイド・ライトとミース・ファン・デル・ローエです。
ル・コルビュジエの功績はモダン建築の提唱で、コンクリートの平滑な壁面とか、装飾を排除したクールで合理的な建築が特徴です。
どでかい仕事をたくさんやり遂げたこの名匠の建築物、アルゼンチンには1949年に建てられたクルチェット邸という私邸があります。アルゼンチンでただひとつのル・コルビュジエの建築です。
モダンな映画を象徴するようなモダンな建築で映画は撮影されました。

モダン建築の巨匠が作ったモダン建築物とお隣さんのトラブルを描く映画って、考えみればこの設定だけで相当無理があってへんてこりんだとわかりますよね。
名匠の豪邸なのに手が届くくらい近くにお隣さんの壁があって窓を開ける開けないで揉めてるんですよ。家の作りや敷地はどうなってると思いますか?

摩訶不思議リフォーム映画の最大のナンセンスがここにあります。建築はたっぷり堪能できますが、お隣さんとの敷地がどうなっているかなど、具体的な細部は抽象的なままです。

モダンと抽象という概念が映画全体を包み込んでいることがわかります。

トリックスター

さて隣人ビクトルです。この人の面白さは説明し出すと止まらなくなりますし野暮です。こればかりは本編にてたっぷりお楽しみくださいとしか言えません。
類型的でありがちなキャラでありながら、その細部は繊細で、実は類型でもありがちでもなく相当にユニークであることが見て取れるでしょう。この男が気に入るかどうかで映画の好き嫌いがはっきり分かれます。

いわゆるトリックスターが活躍する虚構では、わけのわからない不条理系が伝統的に多いように思います。アリスの三月ウサギをベースにした人を翻弄するシュールキャラです。
この映画ではそういうのとタイプが違って、もっと普通です。普通であるからこその変さに満ちていますが。
粗野で野蛮で怖い男と思わせておいてからどんどん印象を変えていきます。惚れ惚れするような男です。

アーティスト気質の人間は時として粗野で野蛮な人間に憧れを持ちます。しかし本当に粗野で野蛮な人間では駄目なので、粗野で野蛮ながら同時に知的でアーティストな人間に理想を置いたりします。
この映画のトリックスターは、映画を作る側、あるいは映画を観る側によくいるタイプが、もっとも痺れる特徴をすべて搭載したキャラクターとして作り上げたのかもしれません。

主人公

主人公レオナルドは成功したデザイナーです。そしてこの主人公はとても厭な奴です。
アーティスト気質の人間は時として自分に似た人間を嫌います。自分の悪い面が似ている人間だったら尚更です。
この映画の主人公の厭な面は、本人でないとその厭さが自覚できないくらい完璧にそっち系の厭な奴です。
このキャラクターを作った人は必ずやこのキャラクターと似た厭な成分を自分も持っていると自覚しているはずです。これは制作側による自虐キャラだとはっきりわかります。
しかしそれにしても度が過ぎてまして、おんどれこらレオナルドお前ちょっと許せんボケカスと思ってしまいますが何事も徹底するとこうなってしまうということでしょうか。

細部と全体

この手の虚構では細部に命が吹き込まれます。些細な細部やちょっとしたエピソードに面白さが詰まっていまして、映像のユニークさと共に強く印象に残すシーンを作り上げました。

隣人ビクトルの個性的振る舞いや主人公レオナルドの厭な野郎感をはじめ、奥さんの絡みや学生たちとの関係、細々と独立した面白さに満ちています。細部が面白い映画は面白い映画です。

最後のほうではちょっとテイストが変わってきたりします。この展開をどう見るか、そこんところも興味深いです。真面目にそのまま受け取ってもいいし、こういうネタを持ってきたこと自体を面白がってもいいし、でもどう見ようと「やられた」感はぬぐえません。

結論として「ル・コルビュジエの家」はめっためたに面白い映画でありました。とってもモダンです。完璧。

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