レッド・インフェルノ

Vampyres
「Vampyres」っていうこの映画、若干のエロスとホラーとスプラッターでできている最近ちょっと稀なとってもチセッツーな映画のひとつ。出来損ないなのに深読みをしてほしそうなストーリーに乗ってあげたくなる衝動に駆られます。よしネタバレ全開超分析にチャレンジだ。
レッド・インフェルノ

とりあえず何が最悪って、スペイン映画なのに言語が英語です。下手な英語が哀愁を漂わせ、スペイン語の響きなら笑って済ませるところ、英語が仇になってがっかり感が並じゃありません。せっかく「スペインのわけのわからんホラー見ようぜっ」と張り切ったのに英語ドラマでがっかりしました。悪くない俳優女優の魅力が全然発揮されません。スペイン映画ファンはお気をつけを。

この映画の面白さはふたつあります。ひとつは気持ちいいほどの出来の悪さです。演出、編集、脚本に演技(英語)、ここまでレベルが低いと逆に嬉しくなりますね。そしてそれを踏まえて見ることになるので応援したくなります。下手な英語と稚拙な演出、間の悪い編集、話の繋がりや状況を考慮しない場当たり的で他所から持ってきたような聞き飽きたセリフに無責任脚本、いいですね。とても大人が集まって作ったとは思えぬ稚拙さに始終ニコニコほがらかになります。

もうひとつはトンデモ分析ごっこが楽しめる捨鉢なストーリーです。ちゃんと話を描くことはできないけど描かない部分で論争になるのを期待しているかのような裏設定を感じさせるストーリーに開いた口が塞がりません わくわくします。エンディングで思わせぶりなシーンを持ってきて訳の分からなさに拍車をかける攻撃性に拍手。

ということでこれ観た人の多くが「なにこれ。わけわからん」となります。

物語はオートバイに乗って山道を走るカップルからです。謎の山道を突き進む恐怖を感じず、友達のツーリングをただ撮っただけみたいな、同じ山道のオープニングシーンでもわずかな撮り方や編集の違いでなぜこれほど差が出るのか、とても勉強になります。

冒頭のツーリング男は殺され女は連れ去られます。直後、キャンプにやってくる男二人女一人のグループ。冒頭の被害者も同じグループで落ち合う手筈だったようです。最初は心配しますがすぐに友達のことは忘れます。とても冷たい人たちです。

二人の女ヴァンパイアはレズで血を飲み血の風呂に入ります。それどころかゾンビみたいに食人もします。それどころかジグソーみたいに装置作って「ゲームオーバー」とか言います。それどころか別のスリラー映画みたいにさくっと喉を掻っ切る殺人鬼もやります。それどころかターゲットにバラを贈ったりする上にその行為に特に意味はありません。誘惑して殺す女たちというふうに宣伝していますが、誘惑するのかさくっと殺すのかゲームを楽しむのか設定を混ぜすぎてバラエティガールズです。

ひとりのおっさんが登場します。歩き方も下手なおっさんで、誘惑されてんのにのほほんとしたり逃げずに待っていたりそうかと思えばびっくりたりおののいたりもします。このおっさんが謎すぎて映画を見る人の頭の中は?が渦巻くはずです。ストーリー的にはどんでん返し的役割を担っていますがとてもそのような設定を感じさせない呑気ぶり。

宿屋をやっているのかふたりのおばちゃんも登場します。19世紀の死者の写真を見るのが好きな謎キャラです。

いろいろあって呑気なおっさんがボウガンで女ヴァンパイアを一人仕留めて戦利品を箱に入れ車で去っていきそれを女ヴァンパイアと新女ヴァンパイアが見送ります。終わり。

さてオチ的に、これをどう見るか。普通の人なら「わけわからん何これ。口直しに別のを観よう」となってすぐに忘れます。

超分析を試みた結果、女ヴァンパイア、旅館のおばちゃん、ヴァンパイアハンター、これらはみんな過去の人です。屋敷の内部は異世界あるいは過去に繋がっていてそこで誘惑ごっこやヴァンパイア狩りごっこをあそんでいるひとたちです。若者たちはその遊びのネタになるために他所の映画世界からやってきたゲストですね。追われてもいないのに車のエンジンがかからなくて「カモーン」とか言うシーンがあって大笑いしましたが、あれは「しまった別の映画と間違えた」っていうシーンですね。

幽霊屋敷とキャンプと森と旅館と街の位置関係がちゃんと設定されておらずシーンによって遠かったりすぐ近くだったりします。登場人物たちは友達が失踪したことより謎の位置関係に混乱してる上に妙な文化人まがいの設定をされているのでどういうセリフを言えばいいのか始終悩んでいてそのせいで言葉に詰まり、結果的に他所の映画のセリフを言うしかなくなります。

血を飲むのか食べるのか殺すのかいたぶるのかゲームがしたいのか太陽が平気なのか怖いのか何なのかよくわからない女ヴァンパイアふたりも自分たちがどういう設定されているのか理解していないのでその場その場を楽しむしかなくなります。

自分の役割を唯一把握しているのはドローンで、昔ならクレーンを用意するしかなかった上空や湖面からの撮影に喜々として挑みます。

最後は誰も住んでいない屋敷の新しい買い手が登場します。これにより、これまで描いてきたことがすべて現実ではないとほのめかします。「映画はおわりだよー」という宣言です。旅館のおばちゃんが見ていた写真が思わせぶりにアップになって「そうか!そうだったのか!」と言う準備をしていましたが呑気おじさんと写真の人を似せたかったのかどうだかもよくわからず煮えきりません。これは「エンディングに思わせぶりを用意したのでネットで解釈論争してください」というドローンからのメッセージですが、誰も乗りません。

結論を言うと旅館のおばちゃんふたりは女ヴァンパイアが年取ったふたりです。昔は屋敷でいろんなことしてあそんだねー、なつかしいねーと暮らしています。ときどき呑気おじさんがやってきて「あらまた会えたわ。また遊びましょう」と過去の遊びを繰り返します。楽しく遊ぶために時々他所の映画から登場人物やシーンを借りたりします。今時はドローンも使えますしやりがいあります。

とそういう映画でした。この解釈の根拠ですか?そんなものあるはずないじゃないですか \(^o^)/

ふざけすぎたので最後にだけ正しい情報を書きますが、この映画は1975年(とか74年とか71年とか書いてあってどっちだろう)の「ドーターズ・オブ・ドラキュラ/吸血淫乱姉妹」のリメイクというかアイデア頂戴した焼き直しだそうです。元の映画がどんなのかは知りません。

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