ブラック・ブレッド

Pa negre
スペイン映画の話題作「ブラック・ブレッド」をやっと観ました。内戦終了後のカタルニア地方を舞台に描くクライム系複雑ドラマ。個性的な作品です。
ブラック・ブレッド

やっと観ましたとか言いながら観たのは結構前なので細かいところを熱く語ることはもうできませんが、押さえておきたいよい映画の一つ「ブラック・ブレッド」です。

この「ブラック・ブレッド」という邦題の語呂と映画の内容がどうにも合わず、タイトルを見かけては「これなんの映画?」とか、「あの超観たいスペイン映画のあれ、なんてタイトルだっけ」とか思ったりしたものです。
ブラックにしてもブレッドにしても馴染みがありすぎる英単語ですから、なんかタイトルとして安っぽい感じがしていました。しかも上映中はブレッドをブラッドと勘違いしていて、黒い血黒い血と信じ込んでいたものだからこちらもいい加減なものです。

「ブラックブレッド」というとカッコ悪いですが「黒パン」と思えばカッコいいです。
世にはびこる幾多の酷い邦題と比較して全然問題ないオリジナルに等しい邦題ですが、なんかちょっとだけ引っかかってました。どうでもいい話ですけど。

さてこの映画、見応えある逸品です。ゴヤ賞9部門受賞です。
内戦直後のカタルニア地方が舞台で、冒頭に起きるショッキングな殺人事件にまつわるクライム系ミステリー系民族系の複合的シリアス系少年物ドラマです。

冒頭の事件とそのミステリーに関しての話の骨子だけでもわりと十分に面白いのですが、その背景にある内戦と内戦後の政権、その政権とカタルニア地方の政治的絡みが出来事に大きく関わっております。この下地を押さえといたほうが、骨子のミステリーにとどまらず興味深く面白く見れると思います。

なんつってもスペインの近代芸術のすべてが内戦とその後のフランコ政権の独裁時代と深く関わっています。具体的に名を挙げるまでもなく、あれやこれやあの人やこの人、映画絵画文学あらゆる創作物に影を落としています。スペインと無関係な辺境の私の思想にも大きく影響したのですがそんなことはどうでもよろしい。

カタルニア地方は内戦で敗れた共和国勢力の支持が強かったため、ファシズムの暴君フランコによってコテンパンにやられてしまいます。その酷い扱いは歴史と認識していてもむかつくほどです。本作の主人公少年の父親は左派の運動家であるという設定ですが、今時の価値観でもって単なる左派活動家という目で見てはいけません。
というか、左派などといいますが、スペイン内乱はもともとの共和国政府に対するファシストどものクーデターなのですから(じっさいは選挙ごとに入れ替わるぐらいの不安定な状態でしたが)言葉の定義上は共和国を支持する活動家こそが右派と言ってもいいはずです。
まあ細かい言葉の定義はどうでもいいですが、とにかくカタルニア地方はフランコと敵対していたということで迫害を受けています。この事実をベースに村の人々を描きますから、そのへんは押さえとかないといけません。散々な迫害を受けた後の人々のお話ですからね。

ということで、この「ブラック・ブレッド」の新しいところはその先にあります。迫害を受けた貧困な村人による、わりかしえぐい話を赤裸々に描ききるからです。
ミステリーと深く関わっているので詳しくは書けませんが、ファシストによる迫害を受けた側の、いわば被害を被った側のですね、歪んだ様や醜さをがっつり描くんですね。これすごいことですね。
相当に迫り来るきつーい物語です。

子供を主人公に、子供の目線で社会の暗部をえぐり出す技法は映画にとって常道です。名作も多いです。
「ブラック・ブレッド」も、観ているとそういう映画であるかのように思い込んでしまいがちです。このミスリードが効果抜群、まさかの展開に胸騒ぎが収まらず、見終わった後わけもなく罪悪感に駆られたり人を憎んだりします。言わば毒です。

この映画の凄いところは、これまであまり描かれなかった毒による毒の描写であります。これが貫かれ、観客が安心して見ていられる登場人物が皆無のまま、最後に突き放されるのであります。

さて、この映画はそういった直球テーマだけにとどまらず、というかそのテーマの中に収まる形ではあるのですが、本編ストーリーの流れの周囲にもいろいろと鋭い描写が満ちています。
まず登場人物たちの油断ならなさが半端じゃないです。

主人公少年の周りにいる人達、両親も含めてですが、一筋縄ではいかないキャラクターばかりです。濃いのです。映画的に「あたりまえ」な設定に収まりません。個性的人物造型がこの映画の重要なキモです。
ありとあらゆる登場人物が魅力的でかなりユニークです。魅力的ってのは言葉の意味を超えて、全然魅力がなく嫌悪感すらあるっていうのも含めてです。これまでの映画文法的な真っ当登場人物の設定を微妙に裏切ったりします。
片手を失ったエロティシズムを内包した少女なんていうのもその代表格です。こうした人物にありがちな展開を、途中までは真っ当に、でも最後の最後にはやっぱり観客の常識を若干裏切ります。
この少女に限らず、たくさんの際だった人物や事柄を、最後にはまとめて葬り去るか如き演出で観ているこちらを呆然とさせるんですね。クールというか強烈というか絶望的というか、この描き方の根底の思想はどういうことでしょう。強いメッセージ性を感じずにおれません。

この映画はミステリー的な部分が大きいので、内容に直接触れず、とても抽象的でわかりづらい感想文になっておりますがご勘弁を。

演出というか描写というか、そういうのも個性的です。40年頃のカタルニア地方の貧困な村、家々や人々、建物や景色、路や森、映像がとてもいいです。貫禄と若々しさの両方を感じさせる鋭い映像の数々、不安やノスタルジーも掻き立てられます。冒頭のショッキングなシーンに見られるように、破壊力抜群の攻撃的な演出も見て取れます。
本作自体も、いろいろな要素を散りばめながら、結局は攻撃的な映画となっているのでして、この攻撃性がファンタジーやノスタルジーや貧困や嘘や少年や少女と合体してこのような見事な作品となったわけです。多分。

監督のアグスティ・ビリャロンガは53年生まれで、あ、この世代の人ですか。そうですか。いいですね。この世代のいい監督はたくさんおられます。で、他の作品は全然知りませんが、今ちょっと見てみたら、わりと良さそうな作品が並んでいます。へえ。奇才って言われてるんですね。他のも観たいです。興味ありあり。

今知りましたが監督の日本での表記がアグスティ・ビリャロンガとかアグスティー・ビジャロンガとか、いろいろ異なってるんですね。どの呼び名が一般的なんでしょうか。よくわからないけどアグスティ・ビジャロンガと表記しときます。

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