ノア 約束の舟

Noah
洪水伝説でお馴染み、聖書に出てくるノアを新解釈で映画化するというのはダーレン・アロノフスキーの若い頃のネタで悲願だったのだとか。で、やっちまったぜぼくらのダーレン・アロノフスキー。
ノア 約束の舟

ノアの伝説は幼い頃からなじみ深い物語でして、そのよく知った物語を聖書で確認する作業において「ノアってどんなやつだったか、もしかして、めっちゃ変なやつだったんではないのか」という発想も当然出てきます。若きダーレン・アロノフスキーもそう思ったのだそうです。そしてその発想をまるで自分だけのすんごくオリジナリティある思いつきだと思ったのかどうなのか、長年暖めた末に金かけて大作風の「ノア」を世に放ちました。

さてそのような事情を知らぬ私は、劇場の予告編で「スノーピアサー」と「ノア」を同時期に見ていて、不信感を募らせていました。今思い出しましたが不信感の根っこは多分これが「エリジウム」を観に行ったときに掛かっていた予告編だったからかもしれません。「エリジウム」のがっかり感はそのままよくあるハリウッド大作への不信感に繋がります。
もちろんハリウッド大作だから不信ということは一切ありません。ハリウッド大作大好き。面白いし。でもつまらないのもあります。
で、そんなわけでポン・ジュノにしろダーレン・アロノフスキーにしろ、散々いい映画を作ってきてる監督が矢次にど派手系大作を作るという、その不思議感に不信感を持っていたわけですが、そうです。この稿、一個前の「スノーピアサー」の続きというか、対をなしている感想文でございます。

不信感を持っていたけど観てみたらたいそう面白くて「決めつけてはいけません」と己に戒めた「スノーピアサー」があまりにも想像に反して面白かったので、同じくらい観る前に興味なかったこの「ノア」も観てみることにしたのです。

ここでダーレン・アロノフスキーのおさらいですが、成長を観てきた中で「レスラー」が大好きで、そのためかなりの好印象、注目の監督であったのは確かです。
最初は「π」という映画でした。若くインテリなダーレン・アロノフスキーはオタクでもあったのでしょうか。「π」という映画は昔ながらの実験映画風アート映画風であると同時に妙なオタクSF風でもあり「鉄男」という日本の変な映画の影響を受けたかのような、まあ、はっきり言うと個人的には全然おもろない映画でした。でも「鉄男」と同じく一部に受けたらしく一気に名を挙げました。
次に「レクイエム・フォー・ドリーム」というジェニファー・コネリーのヌードもたっぷり堪能できるいい映画を作りました。「π」からの成長は凄まじいばかりでした。さらに後、ついに「レスラー」をお披露目しまして、この「レスラー」は素晴らしい出来映えで、ここにきて「ダーレン・アロノフスキーよくやった、凄い、人は成長するんだ」とポジティブ思考の全面肯定に傾きました。
その後は一舞台完全燃焼アストロ球団的バレエダンサーのホラー・スポコン映画「ブラック・スワン」で幅を広げ、最早スター監督のダーレンさんです。

で、次の作品はなんだろなーと思っていたら妙な大作風の「ノア」ってことで、前回「スノーピアサー」で書いたようなことが頭をよぎり興味を失いました。

で、前回書いたように不信感あったのに「スノーピアサー」が面白かったので「観もせずに決めつけてはいかん。ノアもきっと面白いはずだ。ダーレン・アロノフスキーはきっとやってくれるだろう」と、心を改め、毛嫌いせずに観てみたのです。「ノア」です。実際はきっとやってくれるどころか、やっちまったーでした。

はい。
ちょっとダーレン君はそこに座って反省しなさい。と、見終わってどんよりした映画部部室で偉そうな部員たちです。
「もう一度出直す必要があるな」
「調子こいてんと出直してもらおうか」
「πからやり直さなあかんな」
「πからか・・・それはきびしいな」

うっかりやっちまったダーレン・アロノフスキーの「π」じゃなかった「ノア」です。これのどこが悪かったのでしょう。それはもう考える必要もありません。なぜかというと、悪くないところがほとんどないからです。悪いというのはそれはそのつまり嫌いということではありません。決して嫌ってはいません。珍しく、この映画はやっちまった系なのであって、やっちまった感は「プロメテウス」や「エリジウム」の足下にも及ばないのです。と書けばどのような残念さなのかおわかりになりましょう。一つだけ言うならば、脚本に面白いところがひとつもなかったという致命的なことをうっかり口に出してしまいそうです。抑揚のなさや細部の詰めがまったくない点では「ダヴィンチ・コード」にさえ劣ります。

抽象的に貶してばかりいても何ですのでいくつか言うと、例えば細部が死んでます。大工仕事や畑仕事ひとつとっても表現が適当だし、岩男の扱いもご都合主義的で気の毒です。ジェニファーの様子は最初から最後まで一本調子だし他の登場人物のセリフも人となりや人生を感じさせない表面的なものばかりです。鳥と蛇を描いたあとは動物出てこなくて都合よく寝ているだけだし、なんか世界も小さいです。洪水で滅びる前後という大袈裟感がまったくありません。船も知らぬ間に山に乗っかってますし。ノアも没個性で面白味ない上に最後のあの信じられないちゃらけた家族愛のオチはいったい何事かと。人間殺しの血筋についての言及などまったくなかったかのような安直なオチに「ブレイクアウト」のニコニコ夫婦も真っ青です。カットはどれも同じような尺と構図で編集のメリハリもなくて物語に起伏がありませんし、なんか書いてるうちにどんどん貶してしまうのがちょっとヤバいのでこのへんでやめときますがまあいろいろあります。でも決して嫌ってはいないんですよ。これほんと。嫌いじゃないのに残念なんです。

この映画の骨子はダーレン・アロノフスキー本人が長年あたためてきたものらしいし、脚本にもプロデューサーにもクレジットされています。「巨大ビジネスに潰された」みたいな話ではまったくありません。ハリウッドのせいではありません。すべてダーレン・アロノフスキー本人の責任において、たいくつで残念で詰めが甘く観るべきところが全くない妙な映画であるということです。

ということで「スノーピアサー」と対を成す「ノア」でした。「ノア」の名誉のためにちょっと褒めておくと、綺麗な景色がわりと堪能できます。ロード・オブ・ザ・リング的な。

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