コーカサスの虜

Kavkazskiy plennik
セルゲイ・ボドロフ監督1996年「コーカサスの虜」はシンプルな人と人のドラマです。ただ状況がちょっと異常なだけ、つまり戦争捕虜になってチェチェンの村で囲われてるんです。
コーカサスの虜

ロシア軍の兵士二人がチェチェン軍の捕虜となる話です。チェチェンの村には息子をロシア軍の捕虜に取られている親父さんがいて、捕虜と捕虜を交換しようとします。

捕虜として小屋に飼われ、でもどこかの野蛮国みたいにむちゃくちゃに酷い扱いを受けるでもなく、ちゃんと食事も与えられ村人に面倒を見てもらいます。特に可愛らしい村の娘がいたりして、なんか戦争してるのが遠い余所の国のような錯覚に陥る暢気な田舎の捕虜暮らしです。徐々に、微妙に村人たちと親交を深めていきますね。微妙ですけど、そこが奥ゆかしくて。

捕虜の兵士二人もそれぞれタイプの違う人間で、ひとりは怖い軍人っぽい人で一人は若造です。このふたりも捕虜生活を続けていくうちに話をし何というか打ち解けるというか、微妙な良い感じの間柄になっていくんですね。

村の人々の描写、捕虜との会話、捕虜同士の会話、そういう細かい部分がすごく楽しい繊細な物語です。打ち解けたりしていく話ですがやっぱり戦争ですので脳天気な打ち解け方じゃないんですね、実にこの、むずむずするようなおかしなコミュニケーションです。

バックグラウンドに戦争を捉えていますから、人々の魅力に持って行かれながらも常にうっすらと恐怖が含まれます。絶えず緊張感にも包まれています。

緊張感と不審と不穏の中、少しの会話や態度で人と人のコミュニケーションが取れていくこの絶妙な感じ、これが「コーカサスの虜」で一番印象に残っている部分です。そしてこの感じにとてもよく似た感覚に捕らわれる映画を思い出します。「ククーシュカ」(2002)です。

「コーカサスの虜」より6年ほど後に作られた「ククーシュカ」も緊張感漂う中、絶妙なコミュニケーションを描きます。ただ「コーカサスの虜」は「ククーシュカ」ほどコミカルさを前面に出すでもなく、より緊張状態が持続していますから、それほど似ている映画ではありませんので誤解なきよう。何となく思い出したな、程度です。

最初は強い緊張から映画が始まり、徐々に打ち解けてこちらもにんまり楽しくなってきて、ひとりひとりの面白さに悶えつつ見ているとやがて強烈パンチも食らいます。やがて「そうだ。これは戦争なのだ」と突きつけられます。そして映画が終わるころには歯がみして悔しくなる衝撃を受けることになります。

一般的に、衝撃的なラストについて語られることも多い映画だと思うのですが、そりゃそうなのですが、でもやっぱり物語中ほどのコミュニケーションと人の個性の映画だという印象を強く残します。

原作はトルストイの短編で、淡い青春小説のようですね。小説の素晴らしさについても、どなたかが登場人物の魅力を挙げておられます。

映画でもそのとおりで、二人の捕虜、村のおじいさん、他の人々、そして愛しいあの女の子、みんな魅力的です。

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